2025年8月16日
土曜日の朝。大きく深呼吸をして、パソコンを起動させた。
腰の痛みは、ほとんど無くなった。(よしっ)今日から「無理のない筋トレ」を再開する!!
アコギを弾くだけでも大変なのに、英語の歌詞を憶えるのも難しい天才の歌を、聴衆に「おっと言わせる(?)」まで、磨き上げるのって、本当に難しい!!(ふう)かつ、余分な演出もある!!
何をやっても不器用な自分に、本当に腹が立つ!!(ため息)
が、やると決めたからには、全力で頑張る!!こちらも、群馬県をアピールするための「趣味を兼ねた苦行」なのだ!!
でも、楽しい!!こんなミッションに挑戦している知事、全国を探しても他にはいないと分かっているからだ!!ちょっと快感だな!!(笑x2)
音楽と言えば、この10月(?)に、新町長のもとで再開される下仁田町の音楽フェスへの出演依頼を受けることにした。バンドメンバーは集めない。自然に囲まれたステージの上で、アコギ1本の弾き語りをやる!!
何しろ、下仁田町は、元軍人で、後年、草津町長まで務めた父方の祖父が生まれた場所。自分が生まれる前に亡くなった「おじいちゃん」のために、少しでもイベントを盛り上げたい!!
さて、66歳で亡くなった亡父 山本富雄の晩年は、病魔との壮絶な戦いだった。最後の半年間は、(ちょっとレベルは違うが)かつての「三木武吉」みたいな迫力があった。
過去のブログでも触れたが、亡父は、町議、県議、参院議員を務めた叩き上げの党人派政治家だった。その父の人生の目標は、「群馬県知事になること」だった。
が、結局、その「志」を果たすことは出来なかった!!振り返ってみると、大きな理由は2つ。1つ目は、若手県議の頃から注目を浴びていた本人のずば抜けた政治センスと行動力が、周りの警戒を招いていたこと。2つ目は、最後まで古い利権政治の呪縛から逃れられなかったことだ。
自民党県連幹事長(県議)として活躍していた時も、病気と戦いながら農水大臣や参院自民党幹事長を務めていた頃も、「知事のあるべき姿」を熱っぽく語っていた。
その亡父が、よくこんなことを言っていた。
「群馬県の地域事情と政治状況を誰よりも熟知した自分が知事になれば、必ず今までと違うことが出来る!!これまでの知事なら到底、出来ないことをやれる新しいタイプになってみせる!!」と。
実は「もっとヤバいこと」も言っていたが、ここにはとても書けない!!(苦笑)
政治家 山本富雄と山本一太は、考え方もスタイルも違う!!そもそも、亡父が果たせなかった「夢」を引き継ぐために知事になったわけではない!!
が、昨晩、ふと思った。「今、知事として自分がやろうとしていることは、亡父が密かに抱いていた野望やシナリオと重なるものがあるのではないか?!」と。
「気がついたら、亡父とは全く違う発想や手法で、『知事のあるべき姿』を実現しようと悪戦苦闘している自分がいる!」とも。
人間のDNAとは、摩訶不思議なものだ。この件については、改めて取り上げる。
さて、と。明日(日曜)は、2つも公務が入っている。(ふう)本日は束の間の自由を享受することにしよう!!
今日も、あらゆることに感謝を忘れず、明るく真っ直ぐに疾走する!!(ニッコリ)