2024年4月13日:パート2

 19時30分。熱い紅茶を飲みながら、パソコンのキーボードを叩いている。

 午前10時。「第12旅団創立23周年•相馬原駐屯地65周年記念行事」に出席。来賓として祝辞を述べた。結びの言葉を述べる前に、昨年、不慮の事故で亡くなった坂本前旅団長を含む10名の自衛隊員の方々に言及。御霊に哀悼の意を表した。

 過去のブログでも触れたが、坂本前旅団長には、本当にお世話になった。群馬県が、豚熱や鳥インフル、災害に見舞われた際にも、真っ先に駆けつけてくれた。改めて、心からのご冥福をお祈り申し上げます。

 挨拶の直後に会場を出た。途中で用事を済ませ、午前11時30分からの新会館「群馬県交通運輸会館」の竣工式に参加した。

 ここでも、テープカットの後で来賓祝辞。人材育成のための研修や、子どもたちに物流業界の重要性を知ってもらうための教育を実施する機能が備わっている点が、特に素晴らしいと感じた!!

 昼食は、前橋市内のレストラン「登利平」で済ませた。相変わらず、混雑していた。そりゃあ、そうだ。とにかく美味しいもの!!

 どうやったら、鶏肉をこんなに美味しく焼いたり、揚げたり出来るのだろうか?!

 14時。前橋市内で開かれた角田義一元参院副議長の「お別れの会」に参列。知事として「弔辞」を読んだ。

 もちろん、自分の方から、「弔辞を読ませて欲しい」とお願いしたわけではない。葬儀委員長から、秘書課を通じて依頼があった。

 角田元副議長が、自分にとって、尊敬する先輩政治家の1人であることは間違いない。が、少し迷った。角田氏と自分が、ある問題で対峙する立場にあったからだ。

 それでも、(最終的には)弔辞の依頼をお受けすることにした。葬儀委員の方々が、ご家族やご遺族とも相談の上で、知事に頼むことを決めたのだ。ご迷惑をかけることもないだろうと考えた。

 多少、心の葛藤はあったものの、故人の遺影の前で弔辞を読ませていただいたのは、良かったと思う。自分の気持ちは、きっと角田元副議長に届いたと信じている。

 世の中には、意見や立場が違うだけで、ヒステリックに他人を罵倒するような人たちもいる。が、角田氏は、その対局にある人だった。常に真っ向勝負の、さっぱりした上州人だった。

 「うん。よく分かった。あんたには、あんたの信念があるんだな。お互いに堂々とやればいい!」

 そう言いながら、去っていったあの爽やかな姿が、今も脳裏に焼き付いている。角田先生、長い間、お世話になりました。合掌。

 指名焼香を終えて、会場を出た。そのまま、高崎に移動。ずっと行きたいと思っていた「日宮山光明寺」を訪問。上州ゆかりの偉人「内村鑑三」が、大正3年に建立した「内村家5代の墓」を見るためだ。

 今晩、寝る前に、「内村鑑三の遠い親戚であることを誇りに思っていた」亡母に、よく報告しておこう!!

 

 

<第12旅団の記念行事で祝辞>

 

<新•群馬県交通運輸会館の竣工式>

 

<角田義一元副議長のお別れの会>

 

<高崎市内にある内村家5代の墓>