2024年4月8日:パート3

 17時過ぎ。今日は早めに帰宅した。ジャケットを脱ぎ、乾燥芋を齧りながら、パソコンを起動させた。夕食の準備をする前に、副知事人事に関するブログシリーズの続編を書いてしまおう!!

 当選6回以上の自民党のベテラン県議が、副知事の同意人事に慎重な理由がある!!それは、今から20年以上前、小寺県政の時代に勃発した副知事人事をめぐる「知事と県議会の全面対決」の記憶が、彼らの心に鮮明に刻まれているからだと思う!!

 単なる記憶というより、ある種の「トラウマ」になっていると言っていいかもしれない!!

 当時、小寺県庁の出納長だったある人物は、県庁職員から忌み嫌われていた。とにかく部下に対する「イジメ」が激しかったからだ!!幾つかのエピソードは、今も県庁の伝説になっている!!(苦笑)

 もともと、総務省から県の商工労働部長として派遣されていたこの人物は、同じ総務省出身だった小寺知事(当時)の側近として権勢を振るっていた。出納長の執務室の外まで聞こえる声で怒鳴り散らすこの人物の被害に遭った職員は、数知れないと聞いている。

 にもかかわらず、小寺知事はこの人物を重用し、副知事に任命しようと試みた。が、県議会は同意人事を否決!!すでに悪化していた知事と自民党県議団の対立は、決定的なものになった!!

 

 小寺知事は、副知事になり損ねたその人物を、新たに設置した知事室長という役職に任命した!!その後、どこかで知事が再び副知事の同意人事を出し、2回目も否決されたことをうっすらと憶えているが、定かではない!!後で調べてみよう!!

 その数年後、自民党県議団との対決ムードを引き摺ったまま突入した小寺知事の5回目の知事選において、自民党県議団は、自民党県連幹事長だった大沢氏を、現職の対抗馬として(かつ自民党公認候補として)擁立した。

 

 この時の現職知事との激しい戦いは、今でも、県内の語り草になっている!!大沢陣営には、福田康夫元総理や笹川たかし自民党県連会長(当時)も、加わっていた!!群馬県の自民党の命運をかけた「総力戦」だった!!

 自民党県議団にとっては「天王山」とも呼べるその戦いで、新人の大沢候補が僅差で勝利した!!彼らの悲願だった「小寺下ろし」が成就した瞬間だった!!

 

 その時の知事選と同じ時期に、自民党参議院議員として3度目の選挙を戦っていた自分も、この時のことは、よく憶えている!!当確の情報が飛び込んだ瞬間の大沢候補の選対事務所の様子は、まさに「狂喜乱舞の状態」だった!!全員が飛び上がって喜び、抱き合っていた!!

 ただし、副知事人事をめぐる当時の状況と今では、かなり様相が違っている!!そもそも、宇留賀副知事と知事室長だった問題の人物は、(比べるのも失礼だけど)似ても似つかない!!(笑)

 加えて言うと、当時の小寺知事と山本一太も「完全に異質な生物」だ!!県議会へのアプローチの仕方も、全く異なっている!!
 
 なるほど、上記の点も、「この際、内外にきちっと発信しておく必要があるな!」と気づいた。

 あ、お湯が沸いた。熱い紅茶が待っている。この続きは、次回(その⑨)で。