2024年4月7日:パート2

 

 18時30分。久々に外で夕食を食べ、自宅に戻ってきた。アコギの練習をする前に、急いでブログシリーズの続編を書く。

 

 シリーズの①で述べた「宇留賀副知事を続投させたい9つの理由」について1つ1つ解説していたら、一冊の本になってしまいそうだ!!(ふう)

 どこまで行けるか分からないが、(1)の「この4年間の実績」に関する記述から始めることにしよう!!考えてみたら、宇留賀副知事の実績を振り返ることは、2人の副知事(宇留賀氏と津久井氏)と力を合わせて成し遂げてきた仕事の数々を検証することにも繋がる!!

 新型コロナのパンデミックは、日本全体にとっても、地方にとっても、未曾有の事態だった。全国の知事が、このウイルスの脅威から住民の生命と健康を守るために、全力を尽くしていたことは間違いない!!

 もちろん群馬県もそうだ。次々に襲って来る感染の波を受け、医療崩壊を回避するためのあらゆる方策を必死に打ち出す日々だった。

 大変だったのは、流行の初期段階だ。何しろ、ウイルスの正体が分からない!!情報が決定的に不足していた。情報を集めようと思っても、国内のメディアは当初、全て欧米のニュースの後追いをしていた。

 そこで、宇留賀副知事とチームを組んだ。知事である自分は、毎晩、米国NBCを中心にアメリカのメディア報道を細かくフォローした。対して、宇留賀副知事には、英国BBCやCNN、ニューヨークタイムスやワシントンポストの記事をチェックしてもらっていた。もちろん、CDC(米疾病予防管理センター)等の関連情報もだ!!

 持ち寄った情報をその都度、付き合わせながら、宇留賀副知事が、群馬県のコロナ対応の「基準」の原案を作成してくれた。欧米の最新の知見を踏まえたその資料を担当部局と議論した上で、群馬県のガイドラインを策定したのだ!!

 毎朝、宇留賀副知事と2人で会って、最新の情報を交換し合った。他の都道府県で、知事と副知事がここまで密接に連絡を取りながら、パンデミック初期の対策ペーパーをまとめ上げた都道府県って、他にあるだろうか?!

 ちなみに、群馬県があの苦しい時期を乗り越えられたのは、県庁職員が一丸となって、頑張ってくれたからだ!!当時の武藤健康福祉部長とは、毎週末、電話で連絡を取り合っていた。毎回、その週の最新の感染者数の報告を受けていたのだ。

 特に、健康福祉部の職員は、休日を返上して、コロナ対策に当たっていた。各地の保健所のスタッフも、必死に踏ん張ってくれていた!!

 今、思い出したが、あの頃の会見で、コロナ対策の最新報告を行なっていた際に、休みなく対応に追われている職員の姿が頭に浮かんで、途中で(涙が出そうになって)言葉に詰まった場面もあった!!記者の人たちも、ちょっと驚いた様子だった。

 その会見の直後、知事室にやってきた当時の大久保秘書課長が、「知事、ありがとうございます!!知事の気持ちは、職員に伝わったと思います!!」と言っていたことも、鮮明に憶えている!!

 が、宇留賀副知事の活躍は、コロナ対策の立案だけにとどまらない!!コロナ禍の最重要課題だった「県民に対するワクチン接種の推進」に関しても、中核的な役割を果たしてもらった!!

 当時、コロナウイルスから県民を守るための「ゲームチェンジャー」は、感染と重症化の防止に効果を持つワクチン接種だった!!その観点から、県の新型コロナ対策において、県民の接種率を増加させることは、死活的に重要だった!!

 その頃、コロナ担当大臣を務めていた河野太郎氏が、あるテレビ番組で、自衛隊の協力で東京と大阪に大規模接種センターを立ち上げる計画に言及しつつ、「同様に、大規模接種センターを設置して接種を進めたい自治体があれば、モデルナワクチンを提供する準備がある!!」と発言した。

 その直後に河野大臣に連絡して、「群馬県は大規模接種センターを立ち上げる用意がある!!ぜひ、モデルナを提供して欲しい!」と伝えた。頭の中には、完成からあまり日の経っていない高崎市内のコンベンション施設「Gメッセ群馬」が浮かんでいた!!

 先ずは、すでにGメッセ群馬の施設を利用するための予約を終えていた企業や組織等との調整に着手!同時に、県議会にも説明を行いながら、大規模接種センターの設置準備を、猛スピードで整えることが出来た!!(ふう)

 が、最も重要だったのは、モデルナの必要量を確保する作業だった。河野ワクチン担当大臣と何度も交渉や調整を重ねた結果、十分な量を提供してもらえることになった!!

 もちろん、政府との交渉において、知事である自分と河野氏の「30年以上に渡る友人関係」がプラスに働いたことは、言うまでもない!!が、それでも、最後は宇留賀副知事と2人で大臣室に足を運び、群馬県の計画を直接、説明しなければならなかった!!まさしく、政府との「真剣勝負」だった!!

 上述した「モデルナの確保」という、その時期の群馬県にとって最も重要なミッションを遂行する中で、宇留賀副知事が知事である自分を、がっちりサポートしてくれたのだ!!

 事実、担当部局と連携しつつ、政府側(事務方)との細かい協議を担っていたのは、宇留賀さんだった。時には河野大臣本人にも、電話で説明してくれたと聞いた!!

 人一倍、頭の回転が早くて、数字に強い河野氏は、理屈が合わなければ、決して納得しない!!宇留賀副知事に直接、電話をかけて数字を確認したらしい!!

 結果として、群馬県内の2ヶ所(高崎市と太田市)に設置された大型接種センターは、素晴らしい実績を上げた。特に、Gメッセの稼働率は8割を超え、最盛期には毎日1万人以上の県民が、ここでワクチン接種を受けていた!!

 若者の接種率を向上させるためのインセンティブ政策が効果を上げたこともあり、Gメッセの大規模接種会場を解説した翌年11月(?)時点での群馬県の接種実績は、20代から40代まで、全国1位を記録した!!

 菅総理(当時)や河野大臣も、「全国で最も成功した大規模接種センター」という認識を持っていてくれたはずだ!!ちなみに、知事として、今でも、「群馬県は河野大臣に恩義がある!」と感じている!!

 県のどんな施策も、全ては知事の実績として認知される。通常、副知事の仕事ぶりが表に出ることはない!!が、今、振り返ってみると、あの時、宇留賀副知事がいなかったら、全国で最も早く(東京と大阪での開設と同時に)大規模接種会場を設け、必要なモデルナワクチンを確保出来たかどうか分からない!!

 新型コロナのパンデミック(大流行)は、未曾有の出来事だった。前例がないために、何をやっても批判される厳しい状況の中で、対策の立案から施策の実施に至るまで、これだけの貢献を果たした副知事が、果たして他の都道府県にいるだろうか?!

 県議の皆さんにも、県民の方々にも、ぜひ、そのことを知っておいて欲しい!!

 他県の知事もそうだったと思うが、毎日、必死だった!!あの試練を一緒に乗り越えたからこそ、宇留賀さんは、自分にとって、本当の「同志」であり、大事な友人なのだ!!

 知事と副知事という関係が終わった後も、生涯、「友だち」として、付き合わせてもらおうと(勝手に)思っている!!(笑)