2023年8月15日

 17時過ぎ。終戦記念日の今日は、少し早めに帰宅。急いでブログを更新する。

 本日は、午前9時20分に自宅を出発。午前9時40分から、県護国神社本殿で、記帳と慰霊参拝を行った。知事、県議会議長、高崎市長、県遺族の会の役員等が参加。

 続けて、神社内の海外引揚者物故慰霊塔と義勇軍の碑で献花。参加者による記念撮影の後で、龍廣寺の旧陸軍墓地に移動。献花の後、短く挨拶した。
 
 そこから、前橋市に移動。群馬県戦没者追悼式の会場となる「ALSOKぐんまアリーナ」で、モーニングに着替えた。午前11時50分から、戦没者追悼式に参列。冒頭、知事として式辞を述べ、献花を行った。

 知事の式辞では、用意した原稿に沿って、次のように述べた。

 「先の大戦から78年もの時が流れました。祖国の行く末や故郷のご家族を案じながら戦禍に倒れた方々、空襲によって尊い命を犠牲にされた方々を想う時、今なお深い悲しみを憶えます。」

 「ご遺族の皆様は、愛する肉親を失い、決して癒されることのない悲しみを抱きながらも、日々の暮らしを支えるために、懸命に歩んで来られました。そして、郷土発展のため献身的に努力してこられました。改めて、県民を代表し、心から敬意と感謝の意を表します。」

 「私たちが当たり前のように享受している平和は、先の大戦で尊い命を捧げられた方々の犠牲の上にあるということを常に心に留め、悲惨な戦争の記憶を風化させることなく次の世代に引き継いでいく。それが、今を生きる私たちに課せられた使命だと思っています。」

 ここで原稿から目を離し、その場で、次のような趣旨の言葉を加えた。

 「前回と同様、この場所で、ほぼ同じ内容の式辞を読ませてもらいました。冒頭に申し上げた2つのことが、あらゆる機会に発信し続けなくてはならない大事なメッセージであることは間違いありません。」

 「しかしながら、私は、追悼式でのこの知事の式辞が、年中行事としてマンネリ化してしまうことを、とても恐れています。終戦から80年近くが経過する中で、戦争を知らない世代である私自身が、気がつけば、もう65歳になっています。」

 「本日、義勇軍の碑の前で挨拶された00会長は、97歳になられたとお聞きしました。時間の経過と共に、ご遺族の皆さんの高齢化も進み、亡くなった方やこの会場まで足を運べない方も、大勢、いらっしゃいます。時代の流れとともに、戦争の記憶が益々、風化していく。そのことに危機感を憶えます。」

 「だからこそ、私たちは、戦争の悲惨さや平和の尊さを、これまで以上に大きな声で訴えていかなければならない。そう考えています。」

 「一方、世界に目を向けると、ロシアによるウクライナ侵攻で、多くの人々が傷つき、苦しんでいます。本日は、小渕優子自民党県連会長を含む国会議員の皆さんにもご参列頂いていますが、日本をめぐる安全保障環境も、緊迫の度を増しつつあります。」

 「過去200年、中立政策を続けた来たあのスウェーデンが、北大西洋条約機構(NATO)への加盟方針を決め、その流れが現実味を帯びつつある状況を目の当たりにしながら、1人の政治家として、『平和とは何か?』『平和を守るというのは、一体、どういうことなのか?』を、自問自答する日々です。」

 「あの悲惨な戦争を2度と引き起こさないために、多くの戦没者の方々の犠牲の上に築かれたかけがえのない平和を維持するために、戦争の記憶を風化させないために、私たちは、何をしていけばいいのか?日本と群馬の未来を担う若者たち、子どもたちに、何をどう伝えていけばいいのか?」

 「そのことを、県民1人1人が、改めて真剣に問い直す時期に来ている。そう強く感じています。」

 「知事としてこうした思いを胸に刻み、群馬県民の幸福度を向上させ、群馬を発展させるために、引き続き、全身全霊で取り組んでいくことを、御霊の前でお誓い申し上げます。」

 戦没者追悼式が終わったのは13時。直後に知事車で県庁に移動。知事室で、昼食の鶏肉弁当を食べた。

 14時30分。米国で開催された「フットゴルフ•ワールドカップ」に参加した群馬出身の2人の選手が来訪。初の女子団体競技で、見事、日本チームが金メダルを獲得したという報告を受けた。

 何て明るいニュースだろう。この件は、来週の知事会見で取り上げたい。

 その後も、秘書課との細かい打ち合わせ。15時30分過ぎに、県庁を出た。「慰霊参拝の1日」を終え、帰宅した後も、公務のフォローアップが続いている。

 さあ、早めに夕食の準備をする。20時以降は一切、食べられない。明日は、1年ぶりの「人間ドック検査」が待ち受けている。
 

 

<群馬県戦没者追悼式に参列>

 

 

<ワールドカップで活躍したフットゴルフ選手2名が来庁>