2021年10月2日

 夕方。高崎の自宅で、パソコンを起動させた。13時30分頃に、携帯が鳴った。武藤健康福祉部長からだった。

 本日、県内で確認された新型コロナの新規感染者は9人。直近1週間の感染者数では86人となった。100人を下回るのは、第5波が始まった頃の7月21日以来、73日ぶりのこととなる。NHKが公表している人口10万人あたりの数字だと、4.4人程度だ。

 感染者9名の内訳は、前橋市が4名、安中地区が2名、高崎市、太田地区、桐生地区が各1名。感染経路不明の割合は、約4割だった。

 年代別に見ると、10歳未満が0%、10代が0%、20~30代が67%、40~50代が11%、60代以上が22%。

 9名のうち、ワクチン未接種の人は4名、ワクチンを1回でも接種していた人は0名、残りの5名は調査中だ。

 感染者数のリバウンドを封じるための1週間で、引き続き、しっかりと感染レベルを抑えていく。そのことが、10月中旬以降の需要喚起策の実施に繋がる。

 さて、ここからは、総裁選に関するブログの続編。岸田文雄前政調会長が自民党の新総裁に選ばれた翌日の地元紙(上毛新聞)の1面で、総裁選の結果が報道されていた。

 その記事の中で、「群馬県の党員投票では河野太郎氏が勝った(過半数を獲得した)」理由について、「国民の支持率が高い石破茂氏が応援に回ったことが影響した」と分析されていた。

 申し訳ないが、この見方は間違っている。過去の総裁選において「石破氏が群馬県の党員投票で2回連続して1位を獲った」ことは事実だ。が、昨年(前回)の総裁選では、菅総理に(初めて)敗れている。その時のことは、当時のブログで解説した記憶がある。

 今回、群馬県の党員投票で「河野太郎氏が5割を超える得票を集められた」のは、僭越ながら、知事である自分がいち早く河野候補への支持を宣言し、独力で党員への電話作戦を展開し、知事自身が自民党県議や市議、職域支部の役員、後援会関係者を含む「党員に影響力のある人々」に、徹底的な電話による働きかけを続けたことが大きかった。そう自負している。

 この間、週末や休日を返上して、党員への電話作戦を展開してくれた地元秘書たちも、きっとそう信じているはずだ。

 さらに、忙しい公務の合間を縫って、ブログのシリーズも掲載した。この「ちび発信装置」を通じた言霊の発信も、少しは役に立ったと思っている。

 実際、地元後援会の幹部の方々の中には、「大丈夫、知事の気持ちはブログでよく分かっている。河野さんを応援するよ!」という人も多かった。河野選対の某中堅議員(大臣経験者)に激励の電話を入れた際にも、開口一番、「知事のブログは、毎日、読んでますよ!」と言われていた。

 何れにせよ、ここまで大勢の関係者に連絡を入れ、あちこちに呼びかけを行えば、「県内の誰が、どの陣営のために、どれだけ本気で動いているのか?」は、かなり正確に分かる。

 結論から言って、今回の総裁選において、河野候補を応援した山本一太(+地元スタッフ)以上に(少なくとも県内で)、精力的に活動した人間は1人もいなかった。(断言)

 もちろん、ここまでの票が積み上がった最大の原因は、河野太郎氏の個人的な人気だ。が、今回、知事である自分がいち早く動き出していなかったら、党員の5割以上の票を得ることは出来なかったと考えている。いや、その後の状況を見ると、高市候補に逆転されていた可能性すらある。

 え?なぜ、こんなことを書くのかって?!河野太郎氏に、「私は、こんなに頑張りました!」とアピールしたいからでも、河野陣営に恩を売りたいからでもない!そもそも、山本一太群馬県知事の奮闘は、河野氏本人にも、陣営の仲間たちにも、十分に伝わっている。当日の夕方に、本人から電話をもらった。河野太郎は、実は、とても義理堅い人なのだ。

 自分が言いたいのは、「事前にもっと準備をして選挙戦に臨んでいたら、各都道府県にもっとリソースを投入出来ていたら、地方の党員票を、もう1、2割は伸ばせていたはずだ!」ということなのだ。

 もともとお金もないし、スタッフも少ない(それぞれ一騎当千の秘書たちではあるが)山本事務所の人的、財政的なリソースは限られている。そこを知事の行動力でカバーしようと、懸命に頑張った。

 しかしながら、いち早く電話作戦を始めていた岸田陣営はもちろんのこと、高市陣営と比べても、河野陣営の運動量は少なかった。恐らく他の都道府県も同じ状況だろう。

 その中でも、河野太郎候補が、地方の党員票では4候補のうちのトップとなる45%の得票を集めた。群馬県だって、最初から味方の力を結集する体制が整っていれば、あるいは山本事務所にもう少し電話作戦等を強化するための資源があれば、河野候補に対する党員の支持は、6、7割まで伸ばすことが出来ていたと思う。それだけの手応えはあった。

 振り返ってみると、河野選対の陣容にも、国会議員票を集めるための戦略にも、多くの問題点があったように感じる。外から見ても、そう思ったのだ。陣営の中核にいた関係者の人たちは、さぞかし苦労していたに違いない!

 そんな状況の中でも、次の総理を決める自民党総裁選の1回目の投票で(事前の予想より少なかったとはいえ)86人の国会議員が河野太郎氏に投票した。2回目の決選投票では、131名の議員が「河野太郎」と書いてくれた。

 党員票を加算した決選投票の最終的な結果は、岸田文雄候補257票、河野太郎候補170票だった。選挙自体は完敗ではあるものの、惨敗ではない!正直に言わせてもらうと、「よくこんな状態で、170票も獲得出来たものだ!」と感じている。

 逆に言うと、「河野太郎ののびしろは無限大」と言っていいのではないか?!そうでしょう?!

 岸田内閣が発足したら、出来るだけ早く上京する。河野太郎広報本部長とは(昼食でも食べながら)、ゆっくり話したい。河野陣営の人たちにもぜひ会って、こう伝えたい。

 「河野陣営の同志の皆さん、本当にお疲れ様でした!が、もう次の戦いは始まっています。今回の結果を正面から受け止め、反省すべきは反省し、次の勝負に備えてください!」と。

 誰よりも早く「安倍内閣の誕生」を予言していた山本一太(永田町の預言者)の予感は、絶対に外れない!遅かれ早かれ、「河野太郎とその仲間たち」の時代は、必ずやって来る!!

 あ、お湯が沸いた。身体が熱いミルクティーを求めている。この続きは「その⑥」で。