2021年5月22日:パート2

 22時過ぎ。高崎の自宅からのブログ。熱いミルクティーを飲みながら、パソコンのブログ更新画面に向き合っている。

 このブログのタイトルは、「気分はいつも直滑降」だ。このフレーズには、次のような思いが込められている。

 「政治の世界は不条理な世界。真っ直ぐに、正直に進もうとしても、時には迂回を余儀なくされる。が、それでも、出来る限り前を見て、曲がらずにいきたい。少なくとも、気分はいつも直滑降でいこう!」

 もちろん、世の中に聖人君子はいない。誰だって失敗するし、悩んだりするはずだ。特に、「人間・山本一太」は、これまでの人生で、数々の失敗を繰り返して来た。それでも、亡くなった両親に恥ずかしくないように、出来るだけ正直に、真っ直ぐに生きようと努力して来たつもりだ。

 政治家になってからも、政治活動の様々なグレーゾーンに悩みつつ、「あるべき政治の姿」を真剣に模索して来た。

 そうは言っても、なかなか正直には生きられない。全てを透明にするのは簡単ではない。常に「長所も、欠点も、恥ずかしい失敗も全て曝け出して、素のままの自分を評価してもらいたい」と思っているのに、どこか嘘をついている部分がある。

 そんなに立派な人間でもない癖に、自分自身を、実力以上に(?)「カッコよく見せよう」という気持ちを抑えられない。逆に、そのことが、とても「カッコ悪く」感じてしまう。

 前回のブログで、「知事選への出馬を決断する際、最後まで悩んだのは、『自分は、知事として本当に相応しい人間なのだろうか?』という点だった」と書いた。こんなに欠点だらけで、失敗ばかり繰り返して来た人間に、ただ1人しかいない群馬県知事が務まるのだろうか?!そのことを、最後まで自問自答した。これは紛れもない事実だ。当時のブログを読んでもらえれば、そこらへんの心情を、分かってもらえると思う。

 知事の任期は4年。あと2ヶ月で、折り返し地点に入る。万一、4年後に次の選挙に(再選を目指して)立候補すると決めた場合は、県民(有権者)の皆さんに、1期目の実績だけでなく、「自らの人間性や人格も含めた『等身大の山本一太』を評価してもらおう」と心に決めている。

 過去のブログでも触れたが、次の選挙に出るかどうかは、来年の夏(選挙の1年前)に決める。今秋から約1年間、全県を回って県民の生の声を聞き、どうすべきかを判断したい。

 先ずは11月末までにワクチン接種を終わらせ、コロナ感染の拡大を食い止めることに全力を傾注する。が、その後も(特に来夏までは)更なる試練や問題に遭遇するに違いない。その都度、批判や攻撃を浴びることになるだろう。

 最近、よくこんな考えが頭を過る。「政治家としての強みと弱み、人間としての長所と欠点、自らの抱える様々な葛藤を全て、ありのままに伝えられた時、県民の方々は(それでも)知事である自分のことを評価してくれるだろうか?!」「次の4年間も群馬の未来を託したいと思ってもらえるだろうか?!」と。

 ただし、これだけは断言出来る。群馬県知事になることは、(ある意味で)「天命」だったと信じている。国会議員時代の実績や経験は全て、この時のためにあったと確信している。そして、知事という手段を使って、1つでも群馬県と群馬県民の幸せに繋がることをやる。胸の底から溢れ出るこの気持ちだけは、100%、真実だ。

 さあ、群馬のイチゴ「やよいひめ」を2つ、口に放り込んでから、運動する。

追伸:今晩、久々にある友人と電話で言葉を交わした。米国のベンチャー企業家、イーロン・マスク氏のプロジェクトの内容を調べるためだ。向こうも忙しそうで、あまり長くは話せなかったが、スゴく嬉しかった。また新しい庁議スピーチでのネタが出来た。折り返しの電話、ありがとうございました。

        <やよいひめとストレートティーの組み合わせ>