2021年3月29日:パート4

 熱いカモミールティーを飲みながら、館林市長選挙に関するブログの続編を書く。

 3月6日。須藤市長(立候補予知者)の選対事務所開きで、応援団長として挨拶した。前回のブログで触れた世論調査の数字を念頭に、こう訴えた。

 「皆さん、須藤市長が再選を目指す今度の選挙は、予断を許さない厳しい戦いになっています。現職だから有利みたいな甘い考えは捨ててください。ここに集まった皆さんに必死で頑張っていただかない限り、この壁は乗り越えられません」と。

 その後、多田候補との差は着実に縮まった。この流れを踏まえ、須藤候補の出陣式で、あえて1ヶ月前の世論調査で負けていたことに言及し、会場に集まった人たちに、こう呼びかけた。

 「皆さんの頑張りのお陰で、ようやく相手候補に追いつきました。現段階で、2人の候補者が横並びの状態です。勝負はここからの1週間で決まります。絶対に勝ち抜きましょう。」

 これは事実だ。見方にもよるが、相手候補を数ポイント逆転したデータさえあった。ところが、最後の1週間で票を伸ばしたのは、ライバル陣営のほうだった。あらゆる手段で、新たな支持票を掘り起こしたのだ。

 新型コロナ禍にもかかわらず、投票率は前回より1、6ポイント上昇した。そうした状況の中で、多田候補に2400票もの差をつけられたのだ。そう解釈するしか説明がつかない。

 須藤陣営の関係者は、素晴らしい人ばかりだった。が、「必死さ」という点で、相手側が勝っていた。「ここで負けたら後が無い」という覚悟で、徹底した選挙戦を展開したに違いない。

 自分は、須藤候補の決起大会でも、街頭演説会でも、支持者の方々の前で、次のようなアピールを繰り返した。

 「1人1人の市民の皆さんの独立自尊の魂に訴えてください。そうすれば必ず勝てると確信しています。」

 いろいろ考えてみたが、今回の市長選に於いて、どこかの業界や特定の組織の票が「圧倒的にどちらかの陣営に流れた」という現象が起こったとは考えにくい。すなわち、この選挙は、「独立自尊の1票が、組織票に圧倒された」みたいな構図ではなかったということだ。

 今度の選挙で、知事である自分の「市民の方々1人1人に独立自尊の判断をして欲しい」という訴えが届かなかったとは考えていない。「須藤市長の続投こそ館林市民のためになる」と信じて、現職を全力で応援した立場からすると、次の事実を認めるのは辛い。でも、自分はこう思っている。

 「館林市民の皆さんは、今回、独立自尊の判断に基づいて、市政のチェンジを望んだのだ」と。「知事だろうが誰だろうが、市民の独立自尊の魂を動かすことは出来ない」とも。

 過去のブログにも書いたように、須藤前市長はまだ若い。今回の試練を糧に、さらに進化し、成長すると思う。そして、必ずまた(何らかの形で)表舞台に戻って来る。え?なぜそう思うのかって?!須藤さんとは、そういう人だからだ。

追伸:パソコンのキーボードを叩きながら、やはり現職を応援して再選がかなわなかった過去の幾つかの市長選を思い出した。もちろん、現職の当選を助けられたこともある。

 いずれにせよ、今回も自らの信念に従って行動した。もともと不器用なので仕方がない。政治家として、漫然と生きているのは嫌なのだ。