2021年3月11日:パート3

 22時過ぎ。熱い紅茶を飲みながら、パソコンのキーボードを叩いている。

 昨晩、館林市内で行われた須藤和臣市長を支援する組織・団体の総会に出席した。新型コロナ感染防止の観点から、人数を絞っての開催だった。が、須藤市長にとっては、自らの4年間の実績や館林の未来展望を伝える、とてもいい機会になったのではないかと思う。

 来賓として最初にマイクを握った。先日の事務所開きでのスピーチ同様、熱い応援演説を炸裂させた。演説の冒頭、会場に駆けつけてくれた市長の支持者の皆さんに、こう申し上げた。

 「今度の選挙はとても厳しい戦い、予断を許さない勝負になります。『現職だから有利だろう』みたいな甘い考えは一切、捨ててください。そうじゃないと、この高い壁は乗り越えられないと思ってください。」

 「逆に言うと、ここにいる皆さん1人1人に火の玉になっていただき、必死に頑張っていただければ、必ずこの試練を乗り越え、私たちの目標を達成出来ると確認しています。」

 そう、どんなに難しい情勢であっても、熱烈な支持者の「本気」が周りに伝播すれば、候補者への支持率はジワジワと浸透する。選挙とは、そういうものなのだ。

 2度目の市長選における須藤陣営の合言葉は、「最後までチャレンジャーの気持ちで走り抜く」だ。少しでも守りに入ったら、この戦いを勝ち抜くことは出来ない。ここから17日間、皆が心を1つにし、初心に戻って全力疾走する。これしか困難を打ち破る方法はない。当然、知事である自分も、応援団長として先頭に立つ。

 演説では、(いつものように)ライバル候補や他の陣営の悪口は一切、言わなかった。最後までこの姿勢を貫くつもりだ。市長選告示後の遊説や出陣式、決起大会でも、須藤市長の4年間の実績と「なぜ続投してもらわねばならないのか?」を集中的に訴える。相手に対するネガキャンは逆効果だ。

 過去のブログでも触れたが、市議会議員の支持は、2人の候補者の間で真っ2つに割れている。が、このことについて、外部からとやかく言うつもりはない。市議の人たちは、それぞれ選挙で選ばれた独立自尊の存在だ。誰もが、それぞれの信念に従って行動する。ある意味、当然のことだ。

 要は2人(?)の候補者が「同じ条件」のもとで、オープンかつフェアに堂々と戦い、決着をつければいいのだ。現職知事である自分や、義理・人情に厚い萩原県議会議長(須藤市長と県議会議員時代の同期)は、須藤候補の大会に足を運ぶ。ライバル候補の陣営に駆けつける県議もいるだろう。それでいいではないか。

 そうは言っても、あちこちから現職の須藤市長に対する「聞くに耐えない悪口」が聞こえて来る。当然、須藤市長の耳にも入っているに違いない。

 現職と戦う陣営が、これまでの市政を否定し、批判しなければならない事情はよく分かる。が、そうは言っても、須藤市長に対する人格攻撃や誹謗中傷のようなことは、ぜひやらないでいただきたいと思う。

 考えて見て欲しい。市政をめぐる考え方や政策に違いがあったとしても、仮にも市民の民意で選ばれ、4年間、地域のために一生懸命、頑張って来た館林市のリーダーなのだ。

 須藤市長だって(口には出さないが)さそかし悔しい思いをしているはずだ。傍目から状況を見ながら、時々、こう思わずにはいられない。

 「もし自分が市長の立場だったら、大変なことになっているだろう。連日、あらゆる手段で、ピンポイントの猛反撃を展開しているはずだ。山本一太なら、絶対に『倍返し』にする」と。

 にもかかわらず、須藤市長が「ライバル候補の悪口を言っている」のを一度も聞いたことがない。相手候補を応援している市議の人たちを批判するようなことも(少なくとも自分の前では)一切、言っていない。須藤市長とは、そういう人なのだ。

 欠点だらけで、ちょっぴり激情型の知事からすると、時として歯がゆい感じさえする。須藤市長の思いはただ1つ。この4年間の市政の実績と成果を内外に説明し、館林の未来を語ることで、市民の方々の理解と支持を得ることだ。自分の目からみると、まさしく心に「純のカケラ」を持つ政治家だ。

 こうした須藤市長の寛容さや懐の広さは、亡くなった安楽岡一雄前市長とスゴく似ている気がする。ワガママで感情的な群馬県知事より、よほど優れたリーダーとしての「器」がある。皆さん、そうは思いませんか?!

 須藤市長のこの一貫した姿勢は、ライバル候補を応援する方々にも、しっかりと伝えておきたい。館林市民の皆さん、どこかで須藤市長の悪口や個人攻撃を耳にした時は、「悪口を言われている須藤市長のほうは、他の候補者への口撃やライバル陣営の中傷など全くやっていない」という事実を思い起こしてください。

 さあ、急いで運動する。今晩から「肩のリハビリメニュー」も取り入れないと。