2020年11月16日:パート2

 20時過ぎ。夕食のカレーを食べ終わった。NBCニュースを見ながら、本日2本目のブログ(前回の続編)をしたためている。

 

 本日、判明した県内の新型コロナ新規感染者は5名。大きく深呼吸をして、つぶやいた。「頑張れ、群馬県。」

 

 前回のブログでも触れたように、県有施設のあり方に関する県議会の議論には、真剣に耳を傾けている。個々の県議との関係も大事にして来た。が、それでも、行財政特別委員会で出された「発表が唐突だ」とか、「県の方針作成の経緯が不透明だ」という批判には、(正直言って)違和感を覚えた。

 先ず、「県の発表が唐突だ」という指摘についての率直な感想を述べる。10の県有施設が見直しの対象になることは、今年の2月の段階で発表済みだ。「見直しのリストに載る」ということだけで、こうした方針になる可能性があることは、内外に十分に伝わっていたはずだ。

 知事(自分)としては、「先ず執行機関である県(県知事)が責任を持って県有施設見直しに関する方向性を決め、その方針案を議会に提示する。その時点から、県民に開かれた県議会の委員会や本会議の審議を通じて、提案の内容を議論する。県の方針を議決してもらうため、県議会で説明すると同時に、(並行して)関係者に必要な根回しを行う。議論の中でより良い最終結論を導く」という流れを考えていた。

 「唐突だ」というのは、県の方針を発表する前の「各会派(?)への根回し」が不足していたという不満の表れだろう。これでも20年以上、政治家をやっている。どんな法案を通すにも、様々な根回しが要ることは、よく分かっている。

 が、もし委員会が開かれる前に、何でも事前の根回しで方向性を決めてしまったら、県議会の審議は「何のためにあるのか?」ということにならないだろうか?!議会の形骸化に繋がってしまうのではないだろうか?!

 県議会の審議こそ、県民に開かれた議論の場だ。だからこそ、知事として常に全力で向き合っている。委員会審議の前に結論が固まっていたとすれば、それこそ、密室の談合みたいに感じる県民もいるのではないだろうか?!

 そもそも県が何かの方針を打ち出す時は、何でも事前に議会の了解を得なければならないのだろうか?!県と議会が果たすべき機能から考えても、それは違うと思う。

 この件については、自民党県議団の星名幹事長とも話をした。なるほど、議院内閣制のもとにおける政府と与党の一体感と、知事と県議会の距離感は違う。そこらへんは、自分自身がまだ「ある種のカルチャーショック(国会議員シンドローム)」から抜け切れていない面があるかもしれない。

 知事(執行機関)と県議会(議決機関)のあるべき関係を念頭に、「何をどこまで根回しすれば良かったのか?」「唐突とか不透明とか言われないためには、何をするべきだったのか?」「それは本当に必要な手続きなのか?」等を、もう一度よく頭の中で整理してみたい。

 地方自治は首長制だ。ある意味、アメリカの大統領制に似ている。そうだとすると、県議会の最も重要な役割は、強い権限を持つ知事の権限濫用や暴走をチェックすることだ。知事も議会も民意で選ばれ、執行機関と議決機関としての異なる責任を担っている。だからこそ県政の「両輪」と呼ばれているのだ。

 知事の個性やスタイルによって、議会との関係は変わる。が、基本的なゲームのルールは同じだ。知事にとって県議会とは、時には、力を合わせて政策や事業を推し進めるパートナーであり、時には、牽制し合う手強い相手(ライバル)でもある。

 例えば、知事と県議会の間で「考え方の違う」問題があるとしよう。自らの方針(政策)を実現したい知事と、何とか修正させたい議会は、お互いの目的のためにせめぎ合うことになる。が、それこそ、民主主義システムの活力であり、ダイナミズムだ。少なくとも、自分はそう捉えている。

 あ、お湯が沸いた。熱い紅茶を一杯飲んで、それから運動する。まだ右肩と右腕が痛い。当分、無理は出来ない…なあ。(ため息)

 この続きは、次回のブログで。

追伸:
1.少し前に、13日の行財政改革特別委員会の審議状況報告書(参考人の意見陳述と質疑)を読んだ。色々、言いたいことはあるが、(順を追って)冷静かつ論理的に反論することにする。

2.「直滑降ブログ」は、大勢の人に読まれている。県有施設の見直しをめぐる県の考え方(見直しを検討する理由)については、今後、知事の会見はもちろん、ブログのシリーズで詳細に情報発信していくつもりだ。

 例えば、前橋の「ベイシア文化ホール(県民会館)」をめぐる議論についても、県内外から様々な反応があるに違いない。双方の主張は、外部の人たちの目にどう映るだろうか?!その点にも、スゴく興味がある。

           <桐生の活性化に挑む熱烈コンビに期待>