2020年7月28日:パート2

 夕方。武藤健康福祉部長、片貝首席補佐官と話をした。本日の県内の新型コロナに関する調査は部で112件。うち2件の陽性が判明した。保健所が経緯を調査中だ。最近、県外での感染が疑われる事例が多くなっている。武藤部長に、迅速な対応をお願いした。

 前回のブログで、知事に正式就任した1年前(2019年7月28日)のブログを紹介した。翌日の初登庁(7月29日)の際のブログにも、知事としての初心が述べられている。次のような内容だ。

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〜2019年7月29日〜

<大演説(?)4連発!〜初登庁、職員訓示、庁議、記者会見で再認識した「ちっちゃな大統領」の重責!!>

 間もなく21時。熱いミルクティーを飲みながら、キーボードを叩いている。

 本日は午前7時に自宅を出発。午前8時から南牧村役場で長谷川村長と面会。村長はとても喜んでくれた。これまで、知事に正式就任した翌日に、県内の町村長を訪問した前任者は1人もいなかったらしい。最初に会ったのが中山間地の南牧村長だったことに、大きな意味があった。😃

 午前10時。県庁1階のホールで行われた「初登庁式」に出席。市町村長、県議、後援会幹部を含む大勢の支持者の方々が県内各地から駆けつけてくれた。(感激)選対幹部、国会議員、県連幹事長等の挨拶の後、知事への花束贈呈。マイクを握って、次のような謝辞を述べた。

  「こんな素晴らしいセレモニーを設けていただき、本当にありがとうございます!選挙直後から、なるべく笑顔を見せないようにしてきました。少しでも浮かれているみたいに見られるのが嫌だったからです。でも、ここにいるのは苦しい時もずっと私を支えていただいた皆さんばかりなので、あえて満面の笑顔を作ることにします!(笑)顔は笑顔で、でも心の中には覚悟と緊張感を持ちつつ、知事室に入室したいと思います!!」

 「でも皆さん、何度も言って来たように、知事になることが目的ではありません。知事という手段を使って、少しでも群馬県を良くする。これが志です。私の挑戦はここから始まります!ぜひ、今まで以上のご支援をよろしくお願いします!!」大きな拍手が沸いた。

 「職員訓示」も大演説になってしまった。立って聞いていただいた職員の皆さん、ごめんなさい!🙇‍♂️でも、これが最初の遭遇だ。知事の手足になってもらわねばならない県職員に、新知事の思いを直接、知ってもらうのは(自分にとって)とても重要だった。

 初めての「庁議」でも熱弁を振るった。ネットで生中継した初めての「記者会見」も1時間以上に及んだ。(ふう)どう見てもサービス過剰だ。😅次回はもう少し短くする!

 その後、担当者から危機管理に関する説明を受けたり、幹部職員と県議会の日程等について打ち合わせた。

 初登庁した今日1日だけで、良く分かった。知事が「ちっちゃな大統領」と称される理由が!あらゆる意味で責任重大だ!!(ふう)

 さあ、運動の時間だ。今回は「足」か。腹筋も一緒にやっておこう!
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 その前日(7月26日)のブログでは、当時の秘書たちに対する思いも綴られている。これも掲載しておきたい。

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〜2019年7月26日:パート4〜

<夜の独り言〜当たり前だと思っていたことが実は当たり前でなかったと気づいてもらえる時が来る!!>

 22時過ぎ。熱い紅茶を一杯、飲んだ。 過去のブログにも書いたように、参議院議員山本一太のチームは(少し時間を置いて)いったん解散する。他の政治家と秘書との関係はよく知らない。が、こんな欠点だらけの議員に仕えるのは、さぞかし大変だったに違いない。他の議員のスタッフだったら、秘書たちは、もっとのびのびとやれたのかもしれない。もっとやり甲斐があったかもしれない。時々、そんなふうに考えたりもする。

 それでも、(至らない点は多かったと思うが)自分は自分なりに、チーム山本のスタッフをとても大事にしてきた。

 1人1人の人格に敬意を払い、それぞれの家庭の事情にも配慮し、各々の仕事ぶりを評価してきた。もちろん全員のご家族にお目にかかっている。秘書本人の結婚式で主賓のスピーチを務めたり、ご家族の披露宴に出席したりしているからだ。今のスタッフ全員に、心から感謝している。もし参議院議員を続けていたら、全員があと6年、一緒に頑張ってくれたはずだ。心情的には辛いが、仕方がない。退職してもらう秘書たちには、出来るだけのサポートをする。ひととして当然のことだ。

  嬉しかったのは、各地区の後援会(支持者)の人たちから、5人の地元秘書全員の留任願い(?)が出されていること。「一太さん、00秘書は残してくれるよね?」「00さんがいなくなると困る!」それぞれが担当地域の人々の心をがっちり掴まえている。これってスゴいことだ!!😆

  だからこそ、事務所の財政は苦しくても、(給与も含めて)他の国会議員の事務所に見劣りしないだけの対応をしてきたつもりだ。自分の代になってからは、(いち早く)福利厚生や退職金等の仕組みを整えた。え?当たり前じゃないかって?!いや、国会議員の事務所って、秘書の給与体系さえいい加減に管理しているところが意外に多いらしいのだ。

 時々、こう思うことがある。そうした議員本人の気持ちや努力が、秘書たちにどのくらい伝わっているのかな、と。

 まあ、少しは伝わっているのかも。そうじゃなかったら、7人のスタッフのうち、20年選手が3人、15年選手が3人いることの説明がつかない。山本事務所が嫌だったら、こんなに長く務めてくれるはずがない。そうでしょう?!(笑)

 そう言えば、選挙の最終日は、亡くなった秘書の写真を胸ポケットに入れて戦った。矢嶋が生きていたら、きっと今も側にいて助けてくれていたはずだ。いつも口癖のように言ってたもの。「オレは山本一太以外に仕えるつもりは無いっすからね!」と。😂嬉しい言葉だったなあ。

 自分も含め、人間はつい勘違いする。「全てはオレ(私)の力だ!」などと慢心する。だから、常に自問自答する。「自分自身に自惚れや驕りはないだろうか?」「自信過剰な面はないだろうか?」と。

 どんな状況になろうと、必ず「道」は見つけられる。どんな苦境も(熱烈な意思さえあれば)乗り越えていけるものだ。全く心配していない。そもそも最初から「捨て身」なのだ。(笑X2)

 それでも、自分を本気で支えてくれるひとたちの気持ちは、絶対に裏切らない!

 さあ、サプリメントを飲んで、運動(軽いウェートトレーニング)する!!
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 合わせて、同日に記した河野太郎外相との面会に関するブログも載せておく。国会議員時代の人脈をフル活用するという発想に繋がっているからだ。

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〜2019年7月26日:パート3〜

< 盟友、河野太郎外相との20分の会談〜そこには群馬を世界にPRするための様々なヒントが!>

 18時過ぎ。東京駅で地元行きの新幹線をキャッチした。

 17時。都内の議員宿舎1階の応接室で、河野太郎外務大臣と懇談。激務の合間を縫って、20分も時間を割いてくれた。変わらぬ友情に感謝!

 改めて、中国による日本の農産物輸入解禁への働きかけをお願いした。河野外相は真剣に耳を傾けてくれた。「群馬を世界に発信する」ための戦略に関して、幾つか貴重なヒントももらった。東京まで会いに来た甲斐があった。👍

 知事選当選直後に開始した今回の知事行脚で、総理を含む5人の主要大臣(安倍首相、菅官房長官、河野外相、世耕経産相、柴山文科相)と立て続けに会った。党の要である二階幹事長とも面会した。

 加えて、友党(公明党)の党首である山口代表にもお目にかかることが出来た。短い時間だったが、大井川・茨城県知事とも懇談した。細かいことは書かないが、上記の「一連の会談」では、かなりの成果があったと思う。「知事としての活動範囲を広げていくための最初の舞台装置を作る」という当初の目的は、ほぼ達成出来たのではないか。

 昨日、お茶を飲んだ某民放TV局の幹部が言った。「知事に当選して間もないこの時期に、総理や官房長官をはじめとするこれだけの政府与党の要人に次々、会える。お世辞抜きで、こんなことが出来る知事、全国に一太さんしかいないと思いますよ!いや、普通の国会議員でも無理だと思うな。(笑)」

 知事に選ばれてから5日目。歴代の群馬県知事を凌駕する2つの「ちっちゃな称号(?)」を手にした。「群馬県政史上、最も多くの民意(得票数)で誕生した知事」と「政権と最も太いパイプを持つ知事(=当選直後に総理を含む5閣僚等に面会した初めての知事)」というタイトルだ。(笑)

 え?まだまだ道のりは遠く、険しい。何しろ、「世界で1人しかいない個性と発想力を持つ知事」にならなければならないのだから!!😅
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 少し前に電話をかけて来た地元紙の記者が、こう言っていた。

「知事の直滑降ブログ、調べてみたら、2001年に始まっているんですよね。もう20年近く、書き続けているってことですか。」と。

 なるほど、もうそんなになるんだ、な。