2020年7月18日:パート3

 数時間前、武藤健康福祉部長と電話で言葉を交わした。本日の県内の検査数は216件。そのうち、新たに感染が確認されたのは1名だった。少しホッとしたのは、感染経路が明確なことだ。

 今日も全国各地で感染者増加の傾向が続いている。更なる警戒が必要だ。

 ここからは、前回のブログの続き。「領海侵犯発言」の続編だ。

 過去5回、全県選挙(4回の参院選と1回の知事選)を戦った。結果だけ見れば全て圧勝だったものの、どの選挙も苦しかった。選挙で油断したことは、ただの一度もない。最初から最後まで、1%も気を抜かずに戦い抜いた。昨年の知事選もそうだ。

 政治家は選挙という試練を経て進化する。過去に一度も経験していないが、無投票による再選なんて、ちっとも嬉しくないと思う。自身の6年間の活動に対する有権者の評価が全く分からないからだ。

 知事選への出馬を正式表明したのは、一昨年の12月だった。それまでは、(様々な憶測は飛び交っていたものの)翌年7月の参院選における自民党の公認候補という立場だった。

 参院選群馬地方区の候補者擁立に関する野党の動きは鈍かった。参院選まで10ヶ月を切った10月を過ぎても、(共産党候補者の出馬は決まっていたものの)「主要野党による候補者選びは全く進んでいない」みたいな報道がなされていた。「現職の山本一太の参院選に関しては、実質的に最初から当確みたいな構図になるだろう」などと囁かれていた。

 その頃、某テレビ局のある地上波の討論番組で、立憲民主党の幹部と一緒になった。控え室で、その人にこうお願いした。

 「00さん、来年の参院選、群馬では、立憲民主党の候補者が決まっていないようですね。群馬地方区でも、ぜひ最大野党から候補者を立ててください。野党統一候補でも構いません。相手が決まらないので、山本チームにも緊張感がありません。有力な対抗馬と堂々と政策論争をやりたいんです」と。その議員は、ニヤリと笑って、こう言った。

 「いや、心配しなくても、群馬にはかなりの有力候補を出しますからね。今、いろいろ相談しています。覚悟しておいでください。」

 翌日、秘書たちを地元の事務所に集めて、こう話した。

 「昨日、最大野党の幹部が『群馬に有力な候補を出す』と言った。かなり知名度のある候補者が出て来ると思ったほうがいい。最後は、野党統一候補になる可能性もある。ギリギリの勝負になる。力を合わせて、死に物狂いで戦い抜こう」と。その日以来、事務所のスタッフは、引き締まった表情になった。

 が、結局、自分が知事選への出馬を表明するまで、最大野党の候補者は誰も群馬地方区に手を挙げなかった。知事選でも、最大野党絡みの対抗馬が擁立されることは無かった。

 正直に言う。自分は現職知事と選挙で戦いたかった。秘書たちにも、前知事の不出馬表明の直前まで、「必ず現職との勝負になる」と伝えていた。堂々と政策を競い合い、決着をつけたかった。今でも残念に思っている。

 実はその前の参院選挙の際も、最大野党(当時の民主党)の幹部に、同じことを言っていた。「群馬地方区にも、ぜひ民主党の候補者を立ててもらいたい。苦戦は覚悟の上だ。県民の前で、最大野党の候補者と政策議論をやりたい」と。

 その野党幹部から、こんな返事が戻って来た。

 「いや、群馬県で候補者を探すのは難しい。今、考えている候補者の中だと、皆、群馬は嫌だと言っている。それにしても、そんなこと言えるのは、選挙が強いからだ。余裕ですね」と。

 え?余裕があるから?!それは違う。相手が誰であろうと、選挙に余裕などという言葉はない。選挙前にリードしていたとしても、途中で突発的な逆風(爆弾低気圧)に晒されたら、あっという間に形勢が逆転する。ましてや、同じ選挙区に有力なライバルが立候補していたら、落選のリスクは倍加する。

 「政治家は選挙で進化する」「最大野党は全ての選挙区に候補者を出すべきだ」と発言しているからには、自らそのことを実践したかった。

 結局、その年の参院選に民主党の候補者は出馬しなかった。群馬地方区では、国民新党の候補者に民主党が相乗りする形となった。

 目が疲れた。少し休んでから、続編(その3)を書く。