2020年7月18日:パート2

 夕方。本日の東京都内の新規感染者が290人に達した模様だ。予断を許さない状況が続く。群馬県の検査結果も気になる。そろそろ、健康福祉部長から連絡が来る時間だ。

 さて、これでも国会議員を24年も務めた。この間、閣僚や党幹部も経験した。与党政治家の1人として、様々な政策や数々の政局にも関わった。

 群馬県知事になって間もなく1年になる。が、もちろん中央政界の動きは気になる。そりゃあ、そうだ。まだ大勢の仲間がいる。ましてや、政権の行方は、地方政治にも大きく影響する。知事としても、関心を持たざる得ない。

 「領海侵犯だ」と叱られることを覚悟して、たまには中央の政局についても、感想を言わせてもらう。自分で言うのも何だけど、国会議員時代から、政局の分析や解説には定評があった。今も周りからよくこう言われる。「やっぱり、一太さんが言っているとおりになりましたね」と。

 元国会議員としての感覚から言うと、この秋に総選挙(衆議院選挙)が行われる確率は極めて高いと思う。理由はシンプル。野党がバラバラの状態で選挙を実施することが、戦いに勝つ(=現状の議席を維持する)ための最も有効な戦略だからだ。

 言い換えると、時の総理が「最も勝つ確率が高い」と思われるタイミングで伝家の宝刀を抜く(=解散権を行使する)のは当然のことだ。そうでしょう?!
 
 え?「大義名分」はあるのかって?!安倍政権のもとで行われた過去6回の国政選挙を振り返って見れば、明白だ。主要メディア、特に政権に批判的な大手マスコミは、毎回のように、「解散の大義名分がない」などと批判する。が、この大義名分論が、(少なくとも過去数回の衆院選挙では)選挙結果を大きく左右することは無かった。それが正しいことなのかどうかは別として…。

 強いて大義名分を挙げるなら、「現政権を維持することが、日本と日本国民の利益に繋がる」という与党の確信くらいだろう。要するに、選挙の大義名分なんて、後から付け加えるものなのだ。

 国政選挙のあり方に関しては、以前からの持論がある。特に、自民党が総選挙で政権を奪還し、第2次安倍政権が誕生して以降(その前も?)、自分はずっと次のような発言を繰り返して来た。

 「政権選択の選挙となる衆院選挙においては、最大野党が全ての小選挙区に候補者を擁立すべきだ。総選挙において与党候補と野党候補が政策で競い合うことが、個々の政治家の資質の向上にも繋がるし、民主主義を健全に機能させることにもなる」と。

 自民党の国会議員として、こうも主張していた。

 「あらゆる意味で、安倍政権の存続が日本の国益だ。そう確信している。だからこそ、与党の候補者は、全ての選挙区で野党候補と政策を戦わせ、堂々と選挙を勝ち抜くべきだ。その点は、衆院も参院も同様。そのプロセスを経て、引き続き、自公で政権を維持する。これがあるべき姿だ。」

 「それはそうとしても、いわゆる『一強多弱』は良くない。あまりにも野党が弱すぎると、政治に緊張感が無くなってしまう。多くの国民が政権交代に幻滅し、野党に全く期待していない現状は、自民党にとってはプラスに働く。が、日本の政治にとっていいことだとは思えない。」

 ある国政報告会では、こう指摘した。

 「自民党全体が、安倍総理の人気(高い内閣支持率)に甘えすぎている気がする。過去の内閣なら、たちまち倒閣の危機に直面するような問題が起こっても、政権基盤は揺らがない。それだけ政権の土台がしっかりしている証拠ではあるが、あまりに脆弱な野党に助けられている幸運もある。」

 「内閣が安定しているのは、日本にとっていいことかもしれない。でも、逆に心配もある。『一強多弱』に慣れてしまった自民党が乱暴な国会運営に走ったり、党改革を逆行させたり、身内の不祥事に目を背けたりして、再び国民の信頼を失うことになってしまうのではないか?そんな不安を抱いている。」

 「そうならないように、自民党はもう一度、国民の声に真摯に耳を傾けるべきだと思う。私自身も努力します。」

 過去のブログをチェックしてもらえば分かる。これは、政治家山本一太の「一貫した主張」だ。この考え方は、知事になった後も全く変わっていない。

 あ、お湯が沸いた。熱いミルクティーを飲んだ後で、続編を書く。