2020年6月28日

 夕方。高崎市内のカフェにいる。若い女性スタッフによると、「感覚的にはコロナ前にほぼ戻って来ました」とのこと。

 少し前に、武藤健康福祉部長から電話があった。本日のPCR検査も全て陰性。状況が落ち着いているうちに、次の流行に備えた体制をどこまで整えられるか?そこが肝心だ。

 昨年7月、知事選に立候補した際、心に決めたことがある。知事の決意は、2人の副知事にも、OKコンビ(大久保秘書室長と片貝首席補佐官)にも十分、伝わっているはずだ。が、どこまでやったらいいだろうか?!展開によっては、大きな波紋を巻き起こすことになる。

 知事である自分の強みは、過去の情報を集められること。さらに、その情報を発信する独自の「ちっぽけなメディア」を持っていることだ。これまでの経緯を遡ってみると、「おかしい」と感じることが山ほどある。

 知事に就任して11ヶ月。全力疾走の日々が続いている。今や、知事選出馬をめぐる当時の騒動など話題にすら上らない。そう、世の中って、こんなものだ。が、知事として仕事をしたこの1年間で、よく分かった。あの時、なぜ一部の人たちが、最後まで「執拗に山本知事誕生を阻もうとしたのか」が。

 覚悟を決めれば、真正面から内幕を暴露することだって出来る。何か「後ろめたいこと」がある勢力は、恐らく毎日、このブログを読んでいる。そして、戦々恐々としているに違いない。自分はやると言ったことは、必ずやるからだ。

 どこまで何をどうやるか?!最後は、「県民のためになるかどうか?」で判断する。

 数日前、地元の熱心な女性支持者の方に電話をした。何度か連絡をもらっていたが、折り返しの電話をする余裕がなかった。群馬の頼りになる肝っ玉母さんが、嬉しそうにこう言った。

 「一太さん、頑張ってるね。周りの人たちが、一太さんが知事になって、群馬県が広く見えて来たと言ってるよ」だって。この言葉は、スゴく嬉しかった。

 過去数週間の間に、群馬県の4つの観光地(温泉地)を回った。観光キャンペーンの成果を視察するためだ。あちこちで、「ブログ、毎日、読んでますよ」と声をかけられた。ある女性は、「初めて会ったのに、身近に感じるのよね。毎晩、紅茶を飲んで、筋トレをしているのも知っていたりとか…ね」と話していた。

 そう聞いて、少し恥ずかしい気持ちになった。そりゃあ、そうだろう。もし「直滑降ブログ」を長年、読んでいる人がいたとすれば、山本一太という欠陥だらけの人間の実像を、すっかり見抜かれていることになる。

 以前にも言った憶えがあるが、誰かに読まれる文章を書くって、実はとても勇気が要る。「言葉」は情報の宝庫だ。たとえ短い文章でも、書いた人の知性や知識、感性や性格が滲み出てしまう。

 実際、他人が書いたもの、特に他の政治家の文章を読む度に、新しい発見がある。「この人は、何て表現力が豊かなんだろう」とか、「本当のインテリだな」とか、「優しくて素敵な人だな」とか、「なるほど、論理的思考の持ち主だ」とか。逆に、「心底、面白みのない人物だ」とか、「相当、意地悪な性格なんだな」とか、「主語と述語が繋がっていない。文章力が弱いな」と感じる時もある。え?自分だって、そんなふうに評価されているかもしれない。

 熱心なブログファンの人たちから、時々、こんなふうに叱られる。「前回のブログは、山本知事らしくない。読者に良くない印象を与える。」「それは言わぬが花。もっと前向きに考えるべきだ。」「ちょっとはしゃぎ過ぎじゃないか?過信すると足をすくわれる」とか。

 こうした指摘や意見をもらえるのは嬉しい。素直に受け止めるし、反省もする。が、時々、こう思ったりもする。

 「山本一太らしくないって言われても、これが素のままの自分なのだ。そもそも、ワガママで、感情的で、不器用で、不注意で、調子に乗りやすい、欠点だらけの人間だと自覚している。常に『私は(僕は)こんなに立派な人間です』みたいな発信をする政治家は信用出来ない。僕って(私って)こんなにイケてるみたいな発言ばかりするナルシストも気持ちが悪い」と。

 「このブログで伝えたいのは、不器用で、スマートに生きられない、等身大の自分自身の姿なのだ」とも。

 いや、それでも、「少しでもいい人間になろう」という努力は必要だ。62歳でも遅すぎない。悪いところは、直していこう。

 何だか、とりとめのないブログになってしまった。買い物をしてから帰宅する。

<高崎駅構内のデジタルサイネージ(電子看板)で流れている知事の映像>