2020年2月7日:パート2

 昨日の記者会見で、2020年度一般会計当初予算案を発表(内示)した。群馬TV、NHKローカル、地元の上毛新聞に加え、朝日、読売、毎日、日経、産経、東京の全ての主要紙の群馬版で、新年度予算案の内容が大きく報道された。

 特に県内で最大の発行部数を誇る上毛新聞は、一面の全てを使って解説。8面、11面、22面、23面にも関連記事を掲載。朝、秘書課のある職員が、「いくら地元紙だと言っても、県の新年度予算をここまで大々的に書いたことはなかった気がします。それだけ、記事にする内容が多かったということでしょうか?」と話していた。

 正直言って、群馬県知事の立場からすると、地元のリーディングペーパーである上毛新聞に「予算案の中身を正確に報道してもらう」ことは、とても重要だった。その意味で言うと、とても嬉しかったし、(ある意味)安堵した。 

 何しろ、県庁内であれだけの時間をかけて議論し、練り上げた予算案なのだ。2人の副知事も、各部局の幹部や財政課のスタッフも、(上毛新聞の記事を読んで)「ああ、ここまできちっと内容を報道してくれるなら、頑張った甲斐があった!」と感じたに違いない!!(ニッコリ)

 もちろん、地元紙の強みもあるとは思うが、ちゃんと関係部局に取材して書いている。記者たちが、日頃から努力して各部局に食い込んでいる証拠だ。

 朝日新聞の解説には、「山本カラーの印象は薄め。山本色の一端は示したが、事業の成果が上がり、県民が幸福度の向上を実感できるまでにはまだ時間がかかりそうだ」と書かれていた。

 そうかなあ。就任6ヶ月目にしては、「これでも相当、頑張ったほうだ」と思う。(笑)が、記事自体は、予算の狙いを正確に紹介してくれていた。事業の成果を上げ、県民に幸福感を感じてもらえるように頑張りたい!

 毎日新聞が掲載した「県予算を家計に例えると…」は分かりやすかった。産経新聞は重点施策をしっかり取り上げてくれた。日経新聞は「防災・減災対策の充実」が見出し。東京新聞が財政への知事の危機感を強調してくれたのは嬉しかった。

 読売新聞の記事は終始、ネガティブな論調!というか、意図的に「反発を煽る」かのように見える書きぶりだった。いろいろな見方があってもいいと思うが、この記事を書いた記者の分析は、(申し訳ないが)「何と浅薄で、乱暴(感情的?)なんだろうか?!」と感じた。(ガクッ)予算編成に関わった県庁幹部たちも皆、同じ捉え方をしたはずだ。

 

 でも、まあ、予想どおりの内容だった。(笑)いちいち反論するのも面倒なので、細かいコメントは控える。(笑X2)

追伸:今から40年近く前、若気の至り(?)で、本気でジャーナリストになりたいと思っていた時期があった。短い期間ではあったが、現場も経験した。山本一太のこれまでの人生で積み重ねて来た数多くの失敗のうちの1つだ。(笑)

 その後、国会議員として、20年以上、マスコミ関係者と付き合った。この2つの体験を通じ、メディア人、特に記者と呼ばれる人々の本質は、それなりに理解しているつもりだ。

 記者の人たちにとって、「記事を書く」ということは、全人格を賭けた勝負だと思う。本物の(一流の)記者なら尚更だ。だから、記事という作品には、それを書いた記者(作者)の全てが反映される。

 国会議員だった頃、よくこう思った。「そもそも、感性の鈍い(=相手の心の機微を感じ取れない)人間がいい記者になどなれるはずがない!」と。恐らくどの国でも同じだ。敏腕記者と呼ばれる人たちは皆、知恵と努力を駆使して「独自の情報ソース」を開拓している。人間は信頼関係のない相手に、決して本音を話さないものだからだ。

 それはそうと、「文章を書く」というのは、スゴく勇気が要る。言葉は「情報の宝庫」なのだ。読む人が読めば、それを書いた人物の知性も、感性も、性格も、人間性も、たちどころに見抜かれてしまう。そう思うからこそ、毎日、猛スピードでブログを更新せざる得なかったとしても、(後で読み返して)漢字や助詞の使い方の間違いを発見したら、その場で修正するようにしている。

 

 実際、どんなに優秀でも、趣味や関心の引き出しが少なかったり、表現力の乏しい人の文章には魅力がない!!演説も全く同じだ。

 その意味で言うと、「直滑降ブログを更新する」ということは、「素のままの山本一太を曝け出す」という行為に他ならない!!😥

 あ、もう午前1時を回っている。少しだけ運動して寝る。

 

        <今日の上毛新聞の1面。全て予算関連の記事>