2019年10月26日:パート2

 夕方。吉田博美前参院幹事長の訃報が飛び込んで来た。知らせを聞いて、一瞬、絶句した。自分にとっては、数少ない政界の盟友の1人だった。もっと分かりやすく言うと、大好きな政治家の1人だった。

 参院自民党の要職を歴任し、実力者になるずっと前から親しかった。なぜか、とても気があった。年に何回かは、2人きりでカラオケを歌いに行った。政局では違う側に立つことが多かったが、2人の友情は変わらなかった。

 長野県議会議長を務め上げた後、参院議員に転身。地方政治を熟知した叩き上げの党人派だった。参院のドンと言われた青木幹雄元議員会長を師と仰いでいた。練達の政治家というイメージがあるが、変な寝技は一切、使わなかった。実は、真っ向勝負(立ち技)のひとだった。

 嘘をつかず、陰口を言わず、自分が目立つことが嫌いだった。24年間の政治生活の中で、図らずも国対委員長になり、望んでいなかった幹事長になった議員は、このひと以外に思い当たらない。「自分の役回りは、縁の下の力持ちなのに…なあ」とこぼしていた。

 吉田博美氏が理想としていた政治家像は、江戸中期の信濃松代藩の家老で、藩財政の立て直しを行なった名家老の恩田木工(もく)。「ウソをつかない」「いったん命じたことを撤回しない」という姿勢を貫いた恩田木工の生き方に、自らの人生を重ねていたに違いない。

 参院自民党のトップを決める政局で2度、真正面から戦った。最初はこちらが勝ち、2度目は敗れた。最初の勝負が終わった直後に、本人から握手を求められた。「やるからには頑張ってください!」と言ってくれた。「スゴいひとだ!」と思った。

 2度目の対決でこちらが負けた後も、ずっと気を遣ってくれた。周りには、口癖のように、「山本一太はオレの盟友だ。彼のお陰で安倍総理との信頼関係が築けた!」と話していたそうだ。

 参院自民党の政局をめぐっては、生涯、許すことの出来ない悔しい出来事があった。その時、卑怯な振る舞いを何より嫌う吉田さんが、本気で怒ってくれた。

 「一太さんの気持ちはよく分かる。あの人物の信義の欠片もない行動は、絶対に許せない!このことは、お互いに忘れないようにしよう!」と。この言葉は、涙が出るほど嬉しかった。

 「知事選に出馬するかどうか?」の最後の決断を迫られていた時期も、立候補を決意した後も、一貫して応援してくれた。会う度に、「誰が相手だろうと、山本一太が選挙に負けるはずがない!」と励ましてくれた。加えて、「参院自民党としては痛手だけど、知事ほどやり甲斐のある仕事はないと思う。あなたの選択は正しい!」と背中を押してくれた。

 山本一太の型破りな出馬表明は、地元の反発を招いた。確信犯(=考え抜いた戦略)だったとは言え、お世話になった方々に心配をかけてしまった。そのことは、申し訳なかったと感じている。

 立候補表明からしばらくの間は、永田町近辺で、「このままアイツが出馬したら、四面楚歌での選挙になる!」みたいな事実とは異なる情報が飛び交ったようだ。

 その際、自民党の幹部会等で、「実際は違う。山本一太を応援する人たちもいる!」と幹部たちに囁いてくれたのが吉田博美氏だった。「どんな状況でも、選挙は山本一太が当選する。推薦問題は、その点を踏まえて対応すべきだ!」とも。

 安倍総理にも、「あのひとは一度、言い出したら絶対に退かないから、ダメですよ!(笑)」と話してくれていたらしい。

 あちこちで悪口を言い回り、マスコミに意地悪な記事を書かせ、陰で足を引っ張り続けたそこらへんの嫉妬深い政治家連中とは全く違う。

 そう言えば、竹下派の大幹部(参院経世会の会長)だった吉田氏は、小渕優子衆院議員のことを、いつも気にかけていた。「優子さんを何とか将来のリーダーに育てたい。どこかで本格的に表舞台に復帰させたい。一太さんも暖かく見守ってあげてください!」 よくそう言っていたのを思い出す。

 知事選が終わった直後、吉田氏の携帯にメールを送った。「お陰様で当選出来ました。群馬知事選史上、最多得票をマークしました。吉田幹事長のお陰です!」すぐに返信があった。「おめでとうございます。参院の同志として、誇りに思います!」と。

 

 このメール交換で、つい油断していた。「あれから2ヶ月。そろそろお見舞いに行っても大丈夫かな?」と思っていた矢先だった。ああ、ひと目でも会いに行けば良かったなあ。(後悔)とても悔しくて、寂しくて、悲しい。

 明るくて、いつも冗談ばかり言っていた。が、同時に、とても責任感が強く、神経の細やかなひとだった。国対委員長になった頃から、身体には相当の負担がかかっていた。当時、しばらく入院した時期もあった。その時は元気に復帰したものの、本当に心配した。恐れていたことが、現実になってしまった。

 吉田さん、長い間、本当にお世話になりました。知事として全力疾走の日々を送っています。試練に次ぐ試練ですが、とても充実した日々です。吉田さんの分まで元気に頑張って、地方創生に尽くしていきたいと思います。

 長年の重荷を降ろして、ゆっくりお休みください。「政治家を辞めても友人でいよう!」と約束したあなたのことは、けっして忘れません。(合掌)