2019年8月11日:パート2

 22時過ぎ。高崎の自宅でパソコンを起動させた。

 14時30分。御巣鷹登山口に到着。黒澤八郎 上野村村長が迎えてくれた。村長一行と共に登山を開始。山頂の昇魂之碑を目指した。「新知事は体力がある」という定説に基づき、登山時間は50分と予想されていた。黒澤村長によると、「どんなに速いひとでも40分はかかる」そうだ。

 あまり長い休みは取らずに、グングン歩いた。所要時間は20分!新知事の登山に同行した県の関係者も、「今までこんな短時間で登った知事は誰もいない!」と驚いていた。

 無理して急いだわけではない。もともと歩くのが速い(秘書たちに聞いてもらえれば分かる)ことに加え、17日間も全力疾走した知事選の余韻が残っていた。過去2ヶ月間のウェイトトレーニングで、体力もレベルアップしている感じだ。

 登るスピードは速くても、しっかり土を踏みしめて歩いた。途中で何度も足を止め、黒澤村長の説明を聞いた。事故当時の様子や登山道整備の現状がよく理解出来た。

 あちこちに様々な墓碑や墓標が立てられていた。亡くなった方々の写真や思い出の品が集められた祭壇もあった。

 昇魂之碑の前に献花をして下山。登山口でマスコミの囲み取材を受けた。ある記者から、「知事は慰霊登山は初めてなんですよね?今まで(国会議員の時代)は行っていないんですよね?」と聞かれた。

 「ええ、国会議員時代には、慰霊登山に参加する機会がありませんでした。行きたいと思った時もありましたが、他の日程があって、なかなか都合がつかなかったんです!」と答えた。

 「今回、知事として慰霊登山と追悼慰霊式に来られたのは、本当に良かったと思っています!これからもこの行事には毎年、参加したいと考えています!」とも。

 前述した記者の「今まで慰霊登山には一度も足を運んだことはないんですよね?」という念押し(?)の質問の意図は、良く分からなかった。(近くで聞いていた係長も首を捻っていた。)

 さっそく慰霊登山と追悼慰霊式の過去の記録を調べてみたが、これまで慰霊登山と慰霊式に出席した県選出の国会議員はほとんどいないと分かった。昨年、地元の代議士が追悼慰霊式に出席したのが恐らく初めてだと思う。

 手元の資料によると、政府関係者は毎年のように参加している。が、そもそも国会議員の参加は稀だ。閣僚の出席も2回(昭和61年度:橋本運輸大臣、平成22年度:前原国交大臣)だけだ。

 18時。慰霊の園で追悼慰霊式が始まった。知事として追悼の言葉を述べ、献花を行った。日航機事故の犠牲者は520人。遺族の献花では、大勢のひとが慰霊碑の前で手を合わせていた。杖をつきながら、支え合って歩く初老のご夫妻もいた。

 この場面を見ながら、「1人1人の人生がいかに重いものか」を痛感した。「多くのご遺族にとって、時間はきっと30年前でストップしたままなのかもしれない」と思って、胸が苦しくなった。昨日の防災ヘリコプター事故1周年の合同追悼式でのご遺族の表情ともイメージが重なった。

 ローソク供養の後、事故が発生した18時56分に全員で黙祷。黒澤村長の挨拶で式が終了した。

 航空機事故は大きな被害と悲しみを生み出す。こうした悲劇を繰り返さないためにも、事故の悲惨さと教訓を次の世代に語り継いで行かねばならない。そう心に誓った。

追伸:夕方。休憩に立ち寄った国民宿舎(やまびこ荘)でサッとお風呂に入った。湯船に浸かりながら、慰霊登山に参加したという40代くらい(?)の2人の男性と言葉を交わした。

 広告関係(?)の仕事をしているらしい。「私たちは東京から来ました。犠牲者の遺族ではありませんが、この事故を風化させてはならないと思ってるんです!」とのこと。こういう人たちが慰霊のために上野村まで来てくれるのは、とてもいいことだ。

 「ええと、あの群馬県知事さんですよね?ああ、やっぱりそうでしたか。一太さんのこと、TVでは見てるから、どうも似ているなと思っていたんです。」