2019年4月9日:パート2

 夜の新幹線で地元に向かっている。

 山本一太は、いわゆる「ランクコンシャス」なタイプ(「俺は偉いんだぞ!」みたいな顔をしたがる政治家)ではない。年齢や当選回数にかかわらず、国民に選ばれた「選良」という点で、国会議員は皆、対等だと考えている。だから、後輩の議員に「先輩風」を吹かせたりしない。

 時々、何かの役職に就いた途端に、「自分が偉くなった」かのように振る舞うバカな政治家(群馬には、そういう人が1人もいなくて良かったが)を見かける。周りからどう認識されているかも気づかない感性の鈍さに唖然とする!(苦笑)

 県議に対しても、同じ態度(対等な立場)で接してきた。そうじゃなかったら、自民党県連会長選挙の公約を説明するために、1人1人の県議にアポを取って、こちらから足を運ぶようなことはしない。高校の先輩にあたる某県議がこう言ってくれた。「ベテランも若手も含めた県議全員を訪ねているんだってね。今までこんなことをする国会議員は誰もいなかった。一太さんのその姿勢を大事にして欲しい!」と。

 それでも、(こちらから「上から目線」で話すことはなかったとしても)自分より政治経験も浅く、年齢も若い議員から、偉そうな態度で何かを指示されたら、さすがに不愉快に感じるだろうなと思う。(笑)「コイツ、何か勘違いしてるんじゃないか!」と。

 繰り返すが、「オレは大物政治家だ!」などと威張り散らしたことは一度もない!(実際、偉くないし!(ガクッ))が、これでも24年間、自民党の国会議員を務めてきた。閣僚や党幹部も経験したし、予算委員長もやった。何より、自民党の政治家としての「筋」を貫いてきた。

 現在、自民党群馬県連に所属している国会議員は10名。その中で、「あの政権交代選挙の前も、野党に転落していた時代も、自民党がどれだけ厳しい状況に置かれていたのか?」を知っているのは、恐らく3人だけだ。どんなに苦しい時も、自民党を離れずに踏ん張ってきたのだ。

 過去24年の国会議員としての実績や党への貢献度は、正当に評価してもらいたい。というか、そのことに、ちゃんと敬意を払って欲しい!自分は上記の事実だけでも、知事選で自民党推薦を得る資格は十分にあると考えている。

 過去4回の選挙でも、圧勝を重ねている。県民の民意で選ばれてきたという自負がある。山本一太が前回(6年前)の選挙で獲得した5つの小選挙区ごとの得票数及び得票率を、過去2回の総選挙における現職衆院議員の数字とよく比較してもらえば一目瞭然だ。

 安倍内閣が3回続けて衆院選挙に圧勝するという偉業を成し遂げる中で、新人議員もあっという間に当選の期数が増えた。が、ひと昔前までは、5年生、6年生なんてまだルーキーみたいに扱われていた。その点、山本一太は若手でも中堅でもない。国会議員として24年のキャリアを持つベテランだ。ましてや、国政選挙の公募に手を挙げた候補者でもない。

 

 まさかとは思うが、県連本部に呼びつけられ、県連執行部の面々(?)から、「オレたちの条件を呑めば、推薦依頼を認めてやる!そうじゃなかったらダメだ!」みたいな要求を突きつけられる。そんなシナリオは、ありませんよね?!(笑)

 ましてや、県議団の偉い人たち(?)から、「公約案を持って来い!中身をチェックさせてもらう。これとこれはやると約束しろ!こんなことには目をつぶれ!そうすれば、党本部に推薦を頼んでやってもいい!」などと言われることは、あり得ませんよね?!(笑X2)

 申し訳ないが、自らが掲げる公約や政策を(不本意な形で)変えることだけは、何があろうと受け入れられない!(キッパリ)最初から納得のいかない政策を強要されたり、既得権益(?)に手足を縛られるくらいなら、そもそも知事選に立候補なんてしない!自分は「群馬と群馬県民のためになると信じる」ことをやるために、知事を目指しているのだ。

 あ、間もなく高崎のアナウンス。この続きはその⑤で。