2019年3月2日:パート2

 13時30分。伊勢崎市内某所で時間調整。次の日程まで40分近くある。知事選公約案の内容を考える前に、本日2本目のブログが書けそうだ。

 今から7、8年前のこと。某政治家が安倍総理にある申し入れをした。その際、「これは組織の総意だ!」と説明したそうだ。

 不審に思った総理が、山本一太の盟友である党幹部に電話をかけ、「○○さんからこんなことを言われたけど、本当に組織で決めたことなのか?」と尋ねた。盟友は(驚いて)「いや、私は一切、聞いていないし、幹部会で話し合ったこともありません!その話は真っ赤なウソです!」と答えた。

 これ以上、詳しいことは書かない。が、正義感が強くて、ウソの大嫌いな盟友は、この行為にとても憤慨していた。「総理にこんな虚言を吐いてまで、他人の足を引っ張ろうとするなんて!(怒)」と。その気持ちが嬉しかった。

 この件があって以来、「○○の総意」みたいな言葉に、強い違和感を抱くようになった。例えば、ある組織の幹部(偉い人々)が決めたことを総会に諮り、その場で何の意見も出なければ、「手続きを踏んで組織全体の方針を決定した」ということになる。

 ところが、時として、組織内の多くの人たちが(口には出さなくても)「組織決定したはずの方針に賛同していない」という事態が起こる。この面従腹背現象の原因は明白。その組織に属する人たちが(内部で)「自由に意見を言える」雰囲気がない時に生じるのだ。どんな世界でも、風通しの良くない組織は必ず衰退する。

 過去のブログでも、何度か自分の認識を述べた。いかなる組織も「独立自尊の個人」から構成されている。だから、政治家・山本一太は(どんな組織と対峙した時も)出来る限り1人1人の意思を確かめ、個々の気持ちに働きかける。

 例えば4ヶ月後の知事選で、どこかの職域団体が「まだ見ぬ後継候補」を推薦したとしよう。「ああ、あそこには応援してもらえないのか!」などと諦めたりしない。翌日から、その組織に属する「心ある個人」にアプローチし、組織決定を(実質的に)切り崩すための最大限の努力をするに違いない。自分の考え方に賛同してくれるひとだって必ずいると思うからだ。

 知事選に向けて、今後もいろいろなことがあるだろう。でも、命懸けで勝負している政治家の前で、「組織の総意」みたいな常套句を軽々に振りかざすことは、やめて欲しいと思う。

 あ、そろそろ行かないと。