2018年10月19日

 朝。秘書の電話で目が覚めた。まだ頭脳がうまく働かない。熱いミルクティーを飲みながら、ブログの続編を書く。
 
 今回のブログ・シリーズを書くにあたってのもうひとつの前提からだ。

<2つ目の長い前置き>

 参院議員・山本一太は、この8月に自民党県連会長に再選された。自分が望んでいたオープンな県連会長選挙が(他に立候補者がいなかったために)実現しなかったのは残念だったが、民主的な手続き(公選規定)に基づいて「続投」が決まった。

 立候補にあたっては、選挙公約を全員に示した。その上で、県連所属国会議員の7割、県議団の過半数の人たちから「立候補を推薦する署名」をもらったのだ。

 県連所属メンバー全員に推薦人をお願いしたわけではない。相手の立場も考慮した。が、頼んだひとは例外なく快諾してくれた。(感謝)透明かつ公正なプロセスで選ばれたレジティマシー(正当性)のある県連の代表であると自負している。

 が、だからと言って、自民党群馬県連における国会議員と県議の伝統的な役割分担を壊すようなことはやっていない。県議団執行部を信頼しているし、県議団が決定したことに(県連会長として)異を唱えたことは一度もない。

 だいいち、以前に比べれば、国会議員団と県議団との意思疎通はずっと良くなっている。国会議員団と県議団執行部との協議も定例化した。国会議員に事前の説明や了解が必要な事項については、狩野幹事長から事前に連絡をもらうことになっている。

 この2年間、自分がやろうとして来たのは(選挙公約でも明言したとおり)県連全体の発信力を強化し、その中で県議1人1人の活躍を後押しすることだ。その点で言うと、2度の県連会長選挙の公約で掲げた県連会長肝いりの政策タスクフォースの創設に協力してくれた織田沢前幹事長と狩野現幹事長には、改めてお礼を申し上げたい。ありがとうございました!🙏

 そして、「個々の県議の活動にもっとスポットを当てたい!県連全体の存在感を底上げしたい!」という自分の気持ちが伝わったからこそ、あれだけの数の国会議員と県議会議員が推薦人を引き受けてくれたのだと思う。

 同時に、県連会長としての責任からは逃げていない。重要な問題に関する県連全体の方針を決定する際はもちろんのこと、県連会長の判断が求められる場面では、きちっと決断する。ちゃんと筋は通して来た。

 たとえば、前回の衆院選で比例区当選を果たした上野ひろし衆院議員と中曽根康隆衆院議員の2人を「同時に自民党群馬県連に受け入れる」ことを決めたのは自分だ。国会議員と県議団執行部との会議では一部、異論もあったが、(最後は)「県連会長の責任で決めさせてもらう!」と押し切った。

 過去のブログでも何度か触れたが、自分は「県議会議員」というものに強い思い入れがある。亡父・山本富雄は、いわゆる叩き上げの政治家だった。町議、県議を経て国会議員になった。息子の目から見ると、県議時代が一番、輝いていた。ちなみに、今の狩野浩志県議(県連幹事長)は、参院議員・山本富雄の敏腕秘書だった。

 先日、地元記者にこう聞かれた。「一太さん、県連会長になって一番、嬉しかったことは何ですか?」と。「え?そりゃあ、個々の県議と以前より親しく付き合えることですよ!」と即答した。

 群馬県ブランド力強化タスクフォースの出張は楽しかった。数日前のネット戦略推進タスクフォースによる「県連ネットTV実験放送」も、ちょっとワクワクした。2つのタスクフォースのメンバーになってくれた県議の方々には、とても感謝している。このひとたちと一緒に政策を議論出来ることが、スゴく嬉しい!!

 以上、「知事選びに関する県議団執行部の立場を自分なりに理解している」「県議との信頼関係を大切にしたいと思っている」という2つのことを断った上で、本題(④)に入る。ここからが本編だ。

追伸:
1.県連所属の国会議員、県会議員は大事な同志だ。あらゆる問題で全員が同じ方向を向き、一致協力出来るなら、それに越したことはない。ましてや、自分は県連会長なのだ。

 それでも政治家には、それぞれ「譲れない信念」というものがある。時には「違う陣営」で戦わねばならないのが宿命だ。

2.自民党には間違いなく逆風が吹く。来夏の選挙は厳しい戦いになるだろう。が、緊張感の中に「ほんの僅かな高揚感」もある。政治家としての真価を問われる勝負になるからだ。

 選挙は応援団の数では決まらない。最後は候補者自身の魅力だ。「群馬の有権者は政治家・山本一太をどう評価しているのか?!」どうしても、そのことを知りたい。