2018年10月7日

 午後から東京日程。終日、電車で移動した。(ふう)夜の新幹線で地元に戻る。

 前回に続く選挙の話。今から20年以上も前のこと。初当選の後、最初の数年間は、ある分野の政策に全力を注いだ。党の部会や調査会でも、群馬の立場を必死に主張!激論の末に、ある制度を守り抜いた。他県のどんな大物議員に恫喝されても怯まなかった。

 その一部始終を見ていたある職域団体の会長が言った。「一太さん、本当に良く頑張ってくれた!次回の選挙では全面的に支援する。少なくとも会長であるオレは、山本一太一本で行くからね!!」

 残念ながら、その約束は果たされなかった。自民党公認候補がもう1人名乗りを上げた瞬間に、組織を2つに分けて両方を応援する方針が決まったからだ。数日後、会長とある会合で顔を合わせた。その時の苦しそうな表情と言葉が忘れられない。

 「一太さん、本当に申し訳ない。俺の気持ちだけでは決められないこともある。組織を守らなくちゃいけないからなあ。」

 このひとは立派な人格者だった。恨む気持ちは一切、ない。立場上、やむを得なかったことも、良く分かっている。ただ、「なるほど組織・団体とは、こういうものなんだな!」と思った。政治家として、この教訓を心に刻み込んだ。

 事実、自民党が与党だった時代には、いの一番に自民党公認候補を推薦してくれていた群馬の某有力団体が、自民党が野党に転落した後の参院選挙で自民党の現職候補の推薦を見送った。組織として「自由投票」にすると決めたのだ。

 え?この時も特に怒りは感じなかった。そうせざる得なかった理由も理解出来る。野党は政策を実現出来ないもの!

 団体の責任者の口から出たのは、お馴染みのセリフだった。「組織を守らねばならない。与党である民主党にも、気を遣わざる得ない!」

 たとえば、ある職域団体、業界団体が「選挙で山本一太を推薦する」という組織決定をしてくれたとしよう。それはぞれでとても心強いし、スゴく有難い。ちなみに、自民党を支持してくれている群馬県内の有力組織・団体のトップは魅力ある人物ばかり。人望も決断力も行動力もある。県連会長選挙の際も、自民党総裁選挙の時も、会って支援のお願いをした。

 過去、苦しい選挙の度に、このひとたちの存在にどれほど助けられて来たことか?!自民党県連は幸運だ。(感謝X100)

 ただし、ある組織や団体が山本一太への支援の方針を打ち出してくれたからと言って、「そこに所属する全員」が自動的に自分を応援してくれるなどとは、一度も考えたことはない!「どんな組織も独立自尊の個人から成り立っている」と分かっているからだ。

 それでも、なぜ、業界や団体の推薦をもらえると嬉しいのか?!答えは明確だ。選挙に向けて関連業界や団体が主催する集会等に呼ばれ、参加した方々に直接、自らの政治信条や政策をアピールするチャンスを得られる。しかも「このひとを当選させることは私たちのためになる!」という雰囲気の中で!!

 「与えられた5分間で、どこまで独立自尊の心に響くメッセージを伝えられるか?!これは真剣勝負だ!」いつもそう思いながら、マイクを握る。当然、声だって大きくなってしまう。(笑)

 前回のブログで、「組織の偉いひとや有力な政治家の名前だけをずらっと並べたような選対は極めて戦闘力が低い」という意味のことを書いた。野党より与党の候補者のほうが、業界団体の支持を得やすいのは当然だし、たとえば、最初から結果が分かっているような(実質的には無風の)選挙なら、誰でも名前を貸してくれるだろう。マイナスは何もないもの。

 が、その選挙が強力なライバルとの激戦なら、組織や団体の責任者は必ず二の足を踏む。個人の信条より、組織の利益を優先させねばならないからだ。ましてや「勝ち馬に乗らねばならない」選挙の場合、この傾向は益々、強くなる。

 最近、政治家として進むべき道を、改めて考えるようになった。結局、いつも同じ場所に辿り着く。「その政治家がどれだけ有権者(国民)から期待されているのか?」を測る物差しは選挙の得票しかないという結論だ。幸運なことに、過去4回の参院選は全て圧勝だった。毎回、得票も伸ばして来た。

 もし前回の参院選で山本一太の票が激減していたら、(たとえ当選出来たとしても)次の選挙に出る意欲を失っていたはずだ。そりゃあ、そうだろう。選挙こそ、民主主義システムの根幹であり、国民から手渡される唯一の通信簿なのだ。

 「繁栄は友を作り、逆境は友を試す」という諺がある。だからこそ、逆境でも支えてくれる「熱のある個人が集まった応援団」(各地区の後援会組織)を作りたい。いや、作らねばならないのだ。

 先日、南牧村で新しい後援会発足のための準備会合があった。地元の食材が詰まったお弁当を食べながら、集まってくれた約20人のひとたちと話をした。

 なんと優しくて、明るくて、あったかい人々。「豊かな自然と人情の村」に、ゆっくりとした時間が流れている。初めて会ったひととも、心が触れ合った気がした。1人1人の個性(魅力)を「ちっちゃな頭脳」にしっかりインプットした。必ず素晴らしい後援会に育ててもらえるだろう。そう確信した。

追伸:偉い人々(?)を担ぎ出すことで、もっともらしい「理屈」や「雰囲気」を演出する。政治ではよく使われる手法だ。が、自分は姑息な戦術には頼らない。どんなことでも、出来るだけ正確な事実を把握したいと考えている。

 誰かがその地域でどれだけ「待望」されているのかどうかは、実際の得票(=民意)に表れる。得票が多ければ「期待」がある。逆に票が少なければ「実は待望論などない」ということだ。

 独立自尊の気持ちが強い無党派の人たちが、政党を支持する有権者より多い。無党派層がさらに増えつつある状況の中で、候補者の選定でも、選挙戦略を練る上でも、「世論調査のデータ」は益々、重要になって来るだろう。ただし、世論調査ばかりを重視することは「諸刃の剣」にもなり得る。

 あ、そろそろ行かないと。次回のブログに続く。