2018年5月14日

 13時過ぎ。新幹線で地元に向かっている。15時から前橋市の自民党県連本部で行われる選対委員会(委員長は県連会長)に出席するためだ。

 記憶が正しければ、今日の会議で、来年4月の県議選に立候補する現職の公認(第一次公認)を正式決定する。

 夜は都内で重要なワークショップに参加する予定。スゴく楽しみだ。

 昼。国会内の蕎麦屋へ。西田昌司参院議員と遭遇。食事をしながら来年の選挙の展望を話し合った。「西やん」はさすがに危機感を持っている。話が前回の衆院選に及んだ際、1つ大事なことを思い出した。そう、解散から投票日まで「史上最短の総選挙」だったのだ。

 この最速の衆院選は、安倍総理の狙いが「選挙準備も選挙協力の態勢も全く整っていない野党」の弱点を突いた「奇襲戦法」だったことを裏付けている。結果を見れば、見事な戦略だったと言っていい。

 総理が解散の意思を表明する前の段階で、内閣改造によって支持率は回復傾向にあった。加えて、最大野党である民進党は、多くの小選挙区で公認候補を擁立出来ていない状況だった。しかも、野党の支持率は低迷する一方、自民党支持の数字は落ちていなかった。ある意味、ここしかないというタイミングで選挙を打ったのだ。

 「総理が解散を決断」という深夜のマスコミ報道を見た某衆院議員から携帯に電話がかかって来た。興奮気味にこう言った。「このペースなら、全く選挙態勢の整っていない野党は為す術がない!総理の作戦勝ちだ!」と。

 こんな有利な条件が重なっていたにもかかわらず、選挙情勢は最後まで予断を許さなかった。途中、何度か形勢が逆転したが、最後は安倍首相の「超絶運気(?)」が全てを上回った。結果は「与党で3分の2以上の議席を維持する」圧勝だった。

 ただし、自民党圧勝の最大の要因は「敵失」だ。野党が何もせず、フワーッとした選挙協力をしていたとしたら、最低でも20〜30議席は減っていた選挙なのだ。そのことを、けっして忘れてはならない!

 共同通信の最新世論調査によれば、旧希望の党と旧民進党が合流して誕生した「国民民主党」に対する世論の見方は厳しい。何しろ、「期待しない」という意見が74%を上回っているのだ。

 与党はもちろん、野党内からも、「結局、今回の国民民主党結成は失敗だった。何のインパクトもない!」という声が聞こえて来る。が、自分は大塚代表と玉木代表が「自民党への対抗勢力を結集する」という目的で断行した今回の動きは「けっして侮れない」と考えている。

 展望なき離合集散を繰り返しているように見えるが、よく見ると「少しずつ野党の構図が明確になりつつある」気がする。すなわち、野党間の選挙協力態勢を構築しやすい構造に変わりつつあるということだ。

 もちろん、共産党と連携することによるマイナス効果(=保守の票が逃げる)はあると思うが、それでも1年の準備期間を経て、最後は各選挙区に(特に全ての1人区に)実質的な「野党統一候補」が擁立される流れが出来上がるだろう。過去の得票データを分析してみれば、「野党統一候補がいかに強敵になるか」は一目瞭然だ。

 あ、間もなく高崎のアナウンス。「その4」では、来夏の参院選で「自民党が必ず苦戦する」と予想する2つ目の理由を書く。