2018年5月6日

 当然と言えば当然だが、東京でも地元でも、山本一太の全体の政治活動を把握しているのは本人だけだ。1つ1つの行動にどんな意味があるのか?!なぜこのタイミングでやらねばならないのか?!そこにどんな思惑があるのか?!どんな効果を期待しているのか?!自分の発想や感覚を周りのひとに100%、理解してもらうのは無理だ。だから、最後は全て自分で判断し、自らが結果責任を取る。

 連休期間中、その「当たり前のこと」を改めて痛感した。😧

 普通の議員とは違う山本一太の独特の感性(?)に戸惑いつつも、東京と地元の7人の秘書たちは、本当に一生懸命、やってくれていると思う。(感謝)

 亡くなったベテラン秘書(矢島学)がよく言っていた。「オレは議員のためにやっているんです。自分の上司は山本一太しかいないっすよ!何かあったら、直接、指示してください!」と。

 過去のブログにも何度か書いた。7人のスタッフはそれぞれ雇用形態も、給与体系も、勤務年数も、担当業務も違う。が、自分にとっては全員が「対等」だ。各地域のことは、各地域の担当秘書と相談して決める。地区によって状況が異なるからだ。

 20年以上、政治家をやってみてハッキリ分かった。秘書(特に地元のスタッフ)は、最低でも10年、続けてもらわなければ「本物の戦力」にはなり得ない。嬉しいことに、山本事務所に勤務する7人のうち、6人には10年以上の経験がある。もう1人も10年選手に負けない活躍をしてくれている。👌

 今から15、6年前、地元の秘書がなかなか定着しない時期があった。2世議員の宿命と言えばそれまでだが、亡父の時代の体制を変えるのも大変だった。あちこちから様々な反発があった。

 この苦しい時代を乗り切れたのは、周りからどんな妨害や嫌がらせがあっても、「一太さんと一緒にやります」と言い続けてくれた複数の同志がいたからに他ならない。あの言葉はスゴく嬉しかった。😆

 何とか体制改革をやり遂げた後は、(幸か不幸か)誰も辞めなくなった。(笑)「自分にも少しはいいところがあるんだろうな!」と勝手に思っている。👍

 今年で還暦。政治活動の期間は限られている。それだけに、同じ時空間を共有している間は、お互いにとって出来るだけ「意味のある時間」を過ごしたい。

 逆に言うと、(今からでも)お互いの求めているものが大きく違ったり、双方とも一緒に仕事をすることが楽しくなくなった時には、(話し合って)「別の道を選んでもらおう」と心に決めている。そのほうがお互いの人生にとって絶対にいいからだ。

 政治家と秘書は「上司と部下」というより、力を合わせて困難を乗り切っていく「同志」だ。少なくとも自分はそう考えている。いかなる時も最後の決断は政治家本人が下す。が、決断を実行するためには秘書の力が要る。チームが一丸にならなければ、どんな戦いにも勝ちぬけない!

 立場は違っても、同じチームにいる仲間の人格や意見を尊重すべきであることは言うまでもない。「議員が秘書に暴力を振るう」なんて問題外だ。(怒)だからこそ、(自分にとって)最も大事なのは「このスタッフと一緒に働きたいかどうか?」なのだ。

 お互いの立場や考え方を知るには努力が必要だ。「政治家と秘書。それぞれの求めるものが大きくズレてしまったら、漫然と同じチームにいることは許されない!」長くなったからこそ、こうした緊張感を持たねばならないと思う。

 長い充電期間(連休)が終わった。ここからはノンストップで重要会議や政治イベントが続く。頼みの秘書チームにフル稼働してもらわないと!

 取り敢えずは、5月下旬の東京での政経セミナーと6月の全県後援会幹部戦略会議の準備。7月には県連主催政経パーティーがある。同月から11月までは、毎月、各地の「政治&音楽ツアー」が展開される。もちろん、全県後援会ネットワーク拡充プロジェクト(残りの地区の国政報告会開催)も継続する。

 さあ、今日も走る。