2018年5月4日

 夕方。初夏の清々しい気候だ。米国出張から帰国した翌日から運動を再開した。かなりのスピードで走れるようになった。政治活動のイメージPVを撮るための「地獄のスポーツ修行(?)」による筋肉痛から、ようやく解放された。(ホッ)

 体脂肪率は今日も目標の15%を維持している。何度も言うが、自分にとってこれがベストの状態だ。これ以上、この数字は落とさない。

 母が亡くなる前に、こんなことを言った。「人間はいつかは皆、終わりを迎えるのよ。別に贅沢をしたわけじゃないけど、お父さんのお蔭でとてもいい人生だった。」「むこうの世界には、お金も名誉も持っていけないからね。私は生きているうちに、こんなにいい子供達に恵まれて本当に幸せだった!」と。

 残念ながら、自分には(両親と同様に)誰かに残せるような財産も名声もない。が、せめて(可能な限り)最後まで「今のままの体型」(=シンプルかつ無駄のない肉体)で存在する努力を続けたいと思う。(笑)

 それはそうとして、70歳でも80歳でも、お洒落に気を遣うひとって、スゴく素敵だ。😊が、世の中には、大臣とか社長みたいな偉いポストに就くと、途端にブランド物の服を身に付けたり、靴やネクタイを新調して、自分を「必要以上に良く見せよう」とする人たちがいる。

 申し訳ないが、不必要な装飾も不自然な若作りもカッコ悪い!(苦笑)よくある政治家の「本人と違い過ぎる修正ポスター(笑)」ではないが、過度の脚色(?)は、周りから見ると逆に「ちんちくりん」に映る。😓「似合いますねえ!」「お若く見えますねえ!」なんて真っ赤なお世辞だってば。(笑X2)皆、口に出して言わないだけだ。

 だって、そうでしょう?!いくら高級ブランドを身につけたところで、そのひとの実際の容姿(顔やスタイル)が変わるわけではない。年齢も若返らないし、身長も伸びないし、毛髪が増えるわけでもない。ましてや、体脂肪が減るわけでもないのだ。😆

 そういう「装飾品で見映えだけをアップさせようとしている人たち」を見ると、いつもこう思ってしまう。「そんなに無理しなくても、自然に年をとるほうがずっとカッコいいのに!」と。

 そう言えば、1、2年前、甘利元大臣の髪が急に白くなった。黒く染めるのをやめたということだと思うが、逆に自然で、スゴく似合っている。同じ頃、細野豪志衆院議員も「ちょっぴりグレイな感じ」に変わっていた。悔しいが、もともとハンサムな細野氏がさらにカッコ良くなった感じだ。👌

 え?「体型の太いひとがカッコ悪い」わけではない。たとえば、敬愛する武見敬三政策審議会長の体脂肪は(恐らく)自分よりずっと多い。太っているようには見えないが、お腹は引っ込んでいない気がする。(武見先生、ごめんなさい!(笑))

 でも、自分の目から見ると、武見会長は(容姿も体型も人間性も)かなりカッコいい。全てが自然体だからだと思う。とにかくチャーミングなのだ。雰囲気もある。細身の山本一太より、絶対、女性にモテると思うな。👍

 まあ、こんな話はどうでもいい。米国視察報告の続きを書く。

 米国(ロサンゼルス)の「ジャパンハウス」を視察してまず感じたのは、「この事業を効果的に展開していくのはそう簡単ではない!」ということだ。そもそも「ジャパンハウス」は、次の2つの宿命(構造的問題)を背負ってスタートした。

1.「ジャパンハウス」の目的は「日本の多様な魅力を発信する拠点として、知日派、親日派の裾野を広げる」ことだ。が、もともとの発想は「中韓に対抗し、歴史認識や領土問題に関する日本の認識を正しく伝える拠点が必要」ということだった。事実、「ジャパンハウス」の創設をめぐる党内の議論でも、この点がかなり強調されていた記憶がある。

 その後、政府が「文化発信が中心」というソフト路線に舵を切ったものの、自民党内の一部には、「当初、想定されていた機能を果たしていないではないか!」という根強い反発がある。(ちなみに、自分は今の路線が正しいと考えている。)

 もともと国の税金による事業ということもあり、発信する内容自体が「出来るだけ批判を受けない安全かつ保守的なコンテンツ」になりがちだ。加えて、「歴史認識等のアピールもやるべきだ!」というプレッシャーが、現場のより大胆な発想(?)に更なるブレーキをかける状況になっている。

2.日本の多様な魅力を伝えるためには、いわゆる伝統文化だけでなく、世界中にファンを持つアニメや漫画のようなポップカルチチャーも最大限に活用するのは当然だ。このことに異論を唱えるひとはいないだろう。

 文化レベルの高い人々や知識層を唸らせる高尚な展示も必要だが、もっと大衆の関心を引きつけるような遊び心のある企画も打ち出していかねばならない。政府(外務本省)も現場も、そのことはよく分かっている。

 問題は、外国人に受けているクールジャパンのコンテンツが、必ずしも「政府が税金で応援するのにふさわしい」と説明出来るものばかりではないという事実だ。たとえば、個人的に「これは面白い!」「十分、サポートする価値がある!」と感じるプロジェクトであっても、残念ながら「この企画を政府の予算で支援するのは難しいだろうな」と思うものが多い。

 要は「サブカル的なもの(サブカルチャーという言葉はもはや死語だと思うが)と政府の支援とは、そもそもの相性が良くない」のだ。だいたい、エンタメの世界では(どんなことでも)「政府や政治が関わった瞬間に面白みがなくなる」と言われている。(笑)

 

 この根本的な問題をどうクリアし、いかに(伝統文化とポップカルチャーの間の)相乗効果のエコシステムを生み出していくのか?ここらへんも1つの鍵になると思う。

 あ、そろそろ夕食の準備を始めないと。この続きは「ジャパンハウスの可能性と課題③」で。