2018年2月25日

 本日も終日、地元日程。午前11時から館林市内のジョイハウスで、山本一太館林・邑楽郡後援会の設立総会があった。

 国会議員になって22年。この地域に恒常的な後援会組織は無かった。作ろうとも思わなかった。が、ようやく本格的な支援組織が立ち上がった。後援会発足のためにご協力いただいた関係者の皆さん、本当にありがとうございました!

 館林市の後援会長には、山本一太より若い須藤和臣・現館林市長が正式に就任!この人事が(いろいろな意味で)最大のポイントだった。須藤市長のご厚意(友情)は、けっして忘れない!(感謝X100)ちゃんと恩返し出来るように頑張ります!!

 邑楽郡は2つの地域(西邑楽と東邑楽)に分け、西邑楽地域の後援会長はベテランの久保田順一郎県議に、東邑楽地域の会長は若手の川野辺達也県議に受けてもらった。地元の有力な経済人にも役員に加わっていただいた。両県議にも心から感謝を申し上げたい。館林・邑楽地区の後援会としては(考え得る限り)「最強の布陣」だと思う。😊

 新たな後援会が発足したことを受け、最初の国政報告を4月16日(月)の18時30分から同じ場所(ジョイハウス)で開催することも決まった。今回も地元担当秘書の動きには、目を見張るものがあった。抜群の機動力だ!👍

 設立総会の冒頭で挨拶した直後に、車で嬬恋村に向かった。約2時間半のロングドライブ。それもそのはず、鶴舞う形の群馬県の鶴の頭から尻尾の先まで移動したのだ。ね、皆さん、全県1区の参議院地方区って、本当に大変なのです!(ふう)

 14時。山本一太嬬恋村後援会の国政報告会が始まった。会場の大前活性化センターには、大勢の人たちが集まっていた。(こちらも感謝!)町長と議長による来賓挨拶の後、約1時間の国政報告。北朝鮮問題、日米関係から地域振興策まで、幅広いテーマで熱弁を振るった。質疑応答も活発だった。途中で席を立つひとは誰もいなかった。😄皆さん、忙しい中、足を運んでいただき、ありがとうございました!!

 さて、地元秘書たちの涙ぐましい努力と各地域の支持者の方々の応援のお陰で、過去1年半の間に、これまで「恒常的に機能する後援会組織」が無かった地域にも、次々と強力な支援グループが立ち上がりつつある。

 新たに設立された高崎市、伊勢崎・佐波地域、太田市、藤岡市、富岡市の山本一太後援会では、すでに後援会主催の最初の国政報告会を終えた。旧町村部(現在は高崎市)の榛名地区後援会でも、昨年12月に国政報告を済ませている。桐生・みどり市は3月8日に国政報告がセットされている。安中市は3月3日に最初の役員会を行う予定だ。

 断っておくが、全県で後援会組織を整備しているのは、「来年夏の選挙に勝ち抜くため」だけではない。実はもっと大きな理由がある。

 そもそも、自分は、前回(4年半前)の選挙が終わった直後から、各地域における国政報告のサイクルを再開させている。活動しない組織は、あっという間に形骸化してしまうからだ。

 政治家はなぜ後援会組織を作ろうとするのか?それは自らの政治メッセージを出来るだけ多くのひとに伝えると同時に、地域の情報(=有権者の生の声)を得るために不可欠な舞台装置になるからだ。もちろん、各地区の後援会を通じた日頃の地道な活動が、そのまま選挙の結果に繋がっていくことは間違いない。

 たとえば、渋川市民会館大ホールで行われた新しい政治集会には、1200名以上の人たちが駆けつけてくれた。伊勢崎・佐波地区の国政報告会には500名以上の市民が、太田市の集会には、約600名の人々が足を運んでくれた。各地の山本一太応援団がフル稼働したからこそ、これだけの方々に集まってもらえたのだ。

 そう言えば、時々、「私は選挙に勝つために政治活動をしているのではない!」みたいなことをしたり顔で言う若手議員がいる。(ガクッ)申し訳ないが、バカとしか言いようがない!(笑)だって、そうでしょう?選挙の弱い政治家が信念を貫けるはずがないではないか!!😆だいいち、落選したら、やりたい政策を実現出来ないではないか!!👎