2018年2月3日

 19時過ぎ。高崎から東京に向かう新幹線の車中にいる。高崎駅で「とき」に乗り、自分の席に向かう途中でビール(お酒?)を飲んでいた乗客(家族連れの男性)の方のコップをひっくり返てしまった。肩に下げて持っていたバッグが当たったようだ。😓

 その飲み物が(氷と一緒に)スキーウェア(?)のズボンや上着にかかってしまった。立ち止まってお詫びをし、拭こうと思ったがハンカチもティッシュもない。その男性の奥様が車掌を呼び、「何か拭くもの、ありませんか?」と聞いていた。本当にごめんなさい!それにしても、ナプキンを持って駆けつけてくれた車掌さんが、とても親切だった。

 いったん席に着いたが、「名刺を渡しておくべきか?」迷った。が、10分後に相手側から名刺を求められた。(こちらから渡すべきだった。)「申し訳ありませんでした。何かクリーニング代等が必要な時は、いつてもご連絡ください!」と言っておいた。

 さっそく東京の秘書にメールを打ち、事情を説明した。相手の方の名前も伝えた。書類やパソコンでカバンが異常に膨れ上がっていたのが、良くなかった。(反省)

 さて、本日は、14時から前橋市内で開催された公明党の「新春の集い」に出席した。昨年以上に大勢のひとが集まっていた。自民党群馬県連会長として、知事の次に挨拶した。3分間の空間の中で、正直に自分の思いを語った。

 群馬県内でも、連立政権のパートナーである友党の公明党と「腹を割って話し合える」信頼関係を構築する。これも県連会長としての重要な役割だ。最も大事なのは「ウソをつかないこと」だと思う。

 続けて、15時40分からの中部地区郵便局長会総会に足を運んだ。参院自民党としても、(柘植議員や徳重議員を中心に)「ユニバーサルサービスを維持するための議員立法を応援していく!」と力説した。

 その後は渋川高校同窓会の支部長合同会議へ。途中で会場を出て、高崎駅に移動。東京行きの新幹線をキャッチした。明朝の「新報道2001」に出演し、再び地元に入る。夜は、新たに立ち上がった山本一太藤岡後援会役員との懇親会(新年会?)がセットされている。

 さて、自民党県連会長に就任してから1年2ヶ月が経過した。ようやく県内でも「山本一太県連会長」が認知されて来た気がする。県連会長選挙の公約に盛り込んだ目標のうち、県連タスクフォースによるブランド力強化の提言等、具体的な成果が出たものもあれば、まだまだ不十分だと思う項目もある。

 何より嬉しいのは、県連会長というポストのお陰で、個々の県議と「今までより親密に」話せる機会が増えたことだ。(ニッコリ)

 前回のブログでも触れたが、山本一太は「県連会長選挙規定」に基づき、会長選への立候補を表明した。閣僚としての仕事の合間に、徹夜で公約を作り、地元スタッフと手分けをして、県連所属国会議員や県議、地域の自民党幹部に届けた。県庁の記者クラブで会見も開いた。「県連会長として何をやりたいのか?」を内外に発信した。

 結局、他に立候補者がいなかったため、党員による選挙は実施されなかった。が、最後は県連所属国会議員の8割、群馬県議団全体の推薦を得る形で会長に選出された。この手続きに一切の瑕疵はない。それだけに、県連会長としての責任を重く受け止めている。

 自分は自民党県議団を信頼している。個人的にも、1人1人の県議が好きなのだ。事実、「個々の県議にもっと輝いて欲しい。自分が県連会長になれば、きっとその後押しが出来る!」というのが、会長選に手を挙げた理由の1つでもあった。

 県連会長就任時の織田沢前県連幹事長(現県議会議長)はもちろん、今の狩野幹事長との関係も大切にして来たつもりだ。現職の狩野幹事長の判断も可能な限り尊重しているし、ほぼ同じ方向を見て協力出来ていると思う。特に、狩野幹事長が県連タスクフォースの活動を後押ししてくれたことには、とても感謝している!

 当然のことながら、これまでの国会議員団と県議団との役割分担も尊重したい。県議団の決める細かいことに「いちいち嘴を挟む」ようなことはしていないし、これからもその基本姿勢は変わらない。

 ただし、(県議と比較して数は少なくとも)国会議員も県連のメンバーだ。それぞれ県連の活動に(いろいろな意味で)貢献している。だから、県連として重要な問題を決める時は、国会議員にも方針決定のプロセスに参画してもらう必要がある。

 場合によっては、県連会長として調整にあたらねばならない場面もある。この点に関して、過去に何らかの問題が生じた記憶はない。すなわち、必要な時は、ちゃんと話し合って進めて来たということだ。が、念のため、この大事な原則は書き残しておく。

 今後も県議団の主導で進めてもらえることは、どんどんやっていただきたいと思う。が、国会議員の身分や立場に関することや県連全体の活動に影響を及ぼす問題、たとえば国政選挙で「誰を公認するのか?」とか、「当選した議員の県連所属をどうするか?」とか、そうした問題に関しては、引き続き、国会議員団や県議団の意見を十分に踏まえつつ、自民党県連会長(県連のトップ)であり、かつ県選出の国会議員でもある山本一太が最終判断を下さねばならない局面が出て来るだろう。県連を代表して、党幹部とも協議する必要が生じる。公認についても、所属県連についても、決定権は(県連ではなく)党本部にあるからだ。

 先の総選挙において比例区で初当選を果たした中曽根康隆氏と上野ひろし氏に関しては、本人たちからの要請も踏まえ、2人とも群馬県連に所属してもらうことになった。その過程で様々な意見もあったが、全体の流れを見て(最終的に)県連会長である自分が判断した。だからこの決定については、自分に責任がある。

 あ、もう東京。この続きは「その2」で。

追伸:上記の感想を踏まえ、続編では「県連会長として機能する」ために必要だと感じる条件(資質)について書く。いや、条件というより心得だ、な。