2017年11月12日:パート2

 

 今日は、参院平成研究会主催の第2回ゴルフ親睦会の日だった。プレーには間に合わなくても、せめて懇親会には足を運びたかった。前回も声をかけてもらったのに、全く参加出来なかったからだ。

 このグループに草鞋を脱がせてもらっている「客分」としては、渡世の義理に反する。(笑)今度は頑張って時間を調整した。プレー後の懇親会に顔を出すだけのために、外房線の特急に乗った。

 14時30分。千葉県の某ゴルフ場に到着。クラブハウスで、ラウンドを終えて戻って来る同僚議員の人たちを待った。15時過ぎから表彰式と懇親会が始まった。参加メンバーは14名。相変わらず、いい雰囲気だった。(ニッコリ)

 こうした政治家同士のプライベートな付き合いは、とても大事だ。政策勉強会等で一緒に活動するのとはまた違う「親近感」が生まれる。お互いの人間性や魅力を再発見出来る。それが「仲間の結束」を強める。どの世界でも同じだろう。

 懇親会は約1時間で終了。吉田さん、準ちゃん、平成研の皆さん、お誘い、ありがとうございました!

 次の(2年後の)参院選挙は「野党共闘が成立する」ことを前提に戦わねばならない。恐らく「かなりの数の仲間」を失う。「与党が国政選挙で勝ち続ける」状況が、いつまでも続くわけがない。だいいち、山本一太だって生き残れるかどうか分からない。

 正直言って、他人の心配をするような余裕はない。選挙の厳しさは人一倍、知っているつもりだ。が、盟友である吉田博美幹事長が会長を務めるこの参院の派閥の人たちのために少しでも役に立てることがあれば、(微力ながら)喜んで協力したい!何しろ、山本一太は参院平成研の「客分」(時代劇で言えば用心棒?)なのだ。(笑)

 亡父・山本富雄は故・福田赳夫首相を生涯の師と仰いでいた。自分も当選後は(当然の流れとして)「清和会」(旧福田派、今の清和政策研究会)に所属した。当時の会長は三塚博元蔵相だった。

 その後は17年間、清和政策研究会で活動した。もともと不器用な性格なので、あちこち渡り歩くのは苦手だ。それはともかく、福田赳夫元総理が創設した清和会の自由な雰囲気が好きだった。

 この間、清和政策研究会から、自分にとっての「2人のヒーロー」(小泉総理と安倍総理)が出現した。損得抜きで一生懸命、応援した。この2人のリーダーに出逢えただけでも、政治家として幸運だったと思う。(ニッコリX10)

 永田町関係者の間では、今でも「山本一太は清和研(現細田派=安倍派)」だと勘違いしているひとがいる。それだけ「福田系」の印象が強いのだ。が、自分は言わずと知れた「政界ボヘミアン」だ。(笑X2)自民党野党時代に古巣の清和政策研究会から(自分の意思で)離れた。

 なぜ、山本一太が清和研を離脱して「無派閥」になったのか?!その後、どんな経緯があり、これからどんな行動を取ろうとしているのか?!政治家としての自伝でもあるこのブログに、まとめて書き残しておきたいと思う。

 「派閥」を分析すれば、安倍政権の構造が分かる。今の政治が見えて来る。