2017年9月30日

 

 午前零時過ぎ。高崎の自宅にいる。

 18時30分から伊勢崎法人会主催の市民セミナーで講演した。演題は日本政治の展望。衆院選挙の展望と北朝鮮情勢について語った。

 言葉を選びながら、持論を展開した。地元紙の記者が来ていたからだ。選挙前のこの時期、マスコミは鵜の目鷹の目で政治家の言葉狩りに熱中する。与党のいち議員であったとしても、油断は出来ない。

 衆院選挙を直前に控えた最大野党の民進党が「希望の党」への合流を決めた。実質的には「民進党の解党」を意味する前原誠司・民進党代表の大胆な決断だ。

 もう少し正確に言うと、前原民進党代表が「小池都知事という装置を活用して民進党に創造的破壊(?)をもたらした」ように見える。さらに踏み込むと、前原代表と小池都知事は(最初から)「民進党を実質的に分党させて、民進党の保守系グループと小池新党を合体させる」(=自民党に対抗し得るもう1つの保守政党を創設する)ことを狙っていた気がする。

 いや、前原代表がもともとそのつもりだったのか、それとも離党者が続出する状況を踏まえての反射神経的行動だったのかは分からない。が、結果としては、「民進党が分裂して、保守系のグループが小池新党と結合する」という形になる可能性が高い。

 そりゃあ、そうだろう。小池都知事(希望の党党首)は、「憲法改正と安全保障政策で意見の一致したひとだけを公認する!」と明言している。当初から「民進党のリベラル派を排除する」つもりなのだ。

 小池知事があえて「排除の論理」を掲げたのを見て、「やはり、このひとの政治感覚は侮れない!警戒が必要だ!」と感じた。いくら党首である自分に発信力があったとしても、ただ看板だけを替えて「誰でも受け入れる」ようなことをしたら、(擁立する候補者の数は増えたとしても)「新党のイメージが台無しになる」(=国民は新党に全く新味を感じなくなる)と分かっているのだ。

 ある若手議員から電話があった。「一太さん、小池知事の排除の論理で民進党が揉めています。民進から希望への合流組が減るのは、自民党にとっていい展開ですよね?これだと『希望の党』はあまり多くの選挙区に候補者を擁立出来なくなりますからね!」

 実はそうとも言えない。「希望の党」の発足が決まる前のブログにこんな趣旨のことを書いた。「自民党にとって最も警戒すべきシナリオは、共産党が全国で自主的に候補者の立候補を取り下げ、その上で民進党と小池新党(?)が候補者の調整(最も強い候補者の絞り込み)をやることだ!」と。

 共産党の志位委員長は「希望の党」の排除の論理を厳しく批判し、「民進党の候補者が希望の党の公認候補となった場合、共産党は原則として公認候補を擁立する」と明言している。自民党にとって最悪の展開は避けられたものの、志位委員長のこの「原則として」という言葉が曲者だ。

 たとえば共産党は、衆院選で「希望の党」に公認申請をする予定の民進党議員がいる熊本県の2つの選挙区で「候補者を立てない」方針を決めた。この結果、熊本では4つの選挙区全てで野党候補の一本化が実現することになる。

 すなわち、共産党との連携に熱心だった民進党議員の選挙区、「希望の党」から公認されないリベラル系の民進党議員の選挙区等では、「共産党の候補者は擁立されない」と考えたほうがいい。

 そうなると、自民党にとっては「けっして油断の出来ない状況」が出現する。小池新党がどこまでのブームになるかにもよるが、「希望の党」の公認を受けた候補者は「新党の追い風」を受ける。他方で「希望の党」に排除された(又は自らの意思で合流しなかった)候補者は(少なくとも)「共産党候補者の取り下げ」(=共産党による実質的な選挙協力)というプラス効果を得るという構図だ。

 結論はただ1つ。選挙に他力本願は通用しない。自分ではコントロール出来ない外的要因をあれこれ考えても仕方がない。いかなる状況でも勝ち抜く態勢を整え、死に物狂いで勝ち抜く。このことに尽きる。

 あ、気がつくと午前2時を回っている。腹筋と背筋をやって寝る。