2017年8月31日

 武見敬三参院議員が新しい「参院自民党政策審議会長」に就任した。しかも、山本一太が政策審議会長代理として支えることになった。一昨日の夜、韓国のホテルで武見新会長からの電話を受けた。

 「あ、山本さん?武見です。数日前に議員会長と幹事長から突然、政審会長をやって欲しいと言われた。政審会長経験者の山本さんが僕の代理だって。申し訳ないが、いろいろ助けてください!」

 「もちろん喜んでお手伝いします!参院の政審を武見先生と一緒にやれるなんてスゴく幸せです。野党時代、必死に頑張って政審会長職を強化した甲斐がありました!」

 無派閥ボヘミアンの山本一太は参院では「吉田派、武見グループ所属」と見なされている。(笑)とりわけ、(何度か過去のブログにも書いたが)武見敬三参院議員と河野太郎衆院議員は、自分にとって「特別な存在」なのだ。もっとどシンプルに言うと、この2人の政治家が大好きなのだ。(笑)

 口には一切、出さなかったが、心の中では(実際には難しいと思いつつも)「改造内閣で河野太郎氏か武見敬三氏が外務大臣になったらどんなにいいだろう!」と考えていた。その意味で、河野太郎外相はとても嬉しいサプライズだった。(ニッコリ)

 参院政審会長というポストには強い思い入れがある。過去22年間も自民党の参院議員をやり、歴代の実力者に逆らい続けた山本一太が、たった一度だけ経験した参院の幹部ポストだったからだ。

 自分が就任した当時、参院の政策審議会長は、参院議員会長、幹事長、国対委員長に比べて「大臣待ち」の盲腸のような役職だった。たとえば、自民党役員会に出席するのは参院から議員会長、幹事長、国対委員長の3人まで。政審会長の席はなかった。

 加えて、参院政審会長は総務会の幹部でもなかった。ここでも、テーブルに名札があるのは、参院議員会長、参院幹事長、参院国対委員長だった。

 さらに言うと、野党民主党(当時)の参院政審会長は党全体の政調会長代理も兼任していた。これに対して、自民党の政審会長は党政調での明確な位置付けがなかったのだ。

 山本一太が参院政審会長になった後、上述した「3つの不平等システム」は全て撤廃してもらった。当時の谷垣総裁や大島幹事長には随分、迷惑をかけてしまった。が、最後は快く了解していただいた。(感謝X10)

 細かい経緯は書かないが(興味のある方は過去のブログを参照)、懸命の努力の結果、参院自民党政審会長は正式に自民党役員会のメンバーに追加され、総務会の幹部になり、初めて党の政調会長代理を兼ねることになった。

 ついでに、「参院政審会長・定例記者会見」というのも新設した。最後のほうは、幹事長記者会見より多くの記者が集まるようになっていた。

 自民党が与党に復帰した後も、当然、この仕組みは維持された。参院政審会長は今や衆参で単独過半数の議席を持つ最大与党自民党の役員会のメンバーとなっている。TVで自民党役員会の映像が流れる時は、ちゃんと政審会長の顔も見える。その存在感は野党時代の比ではない。

 党本部の政調会長代理の人数が増えたこともあり、現在は(政策審議会長自身ではなく)政審の複数の幹部が、党全体の政調会長代理として名前を連ねるようになっている。

 最後はとても不本意な形で政審会長を降りる羽目になった。(ため息)が、後任の人たちには、自分が残した「ささやかな遺産」を最大限に生かして活躍して欲しいと思っていた。

 それでも、(僭越ながら)その後、「山本一太自民党政策審議会長」の発信力を引き継げる政審会長は現れなかった。「画用紙パネル」がかなりの頻度でTVニュース等に取り上げられていた政審会長の定例会見も消滅してしまった。TVの討論番組等にも、政審会長はほとんど呼ばれなくなった。(ため息)

 あれから8年。遂に待ち望んでいた「最高の政審会長」が出現した。党内きっての国際派かつ社会保障政策の専門家で、山本一太以上の発信力を持つ武見敬三政審会長が誕生したのだ。(パチパチパチ)

 この人事を聞いて、心の底からこう思った。「これこそ、吉田博美幹事長の適材適所の名人事だ。あの時、あちこちで反発を受けながら、死に物狂いで参院政審会長の格上げをやり遂げた意味があった。武見政審会長を出来る限りサポートしよう!」と。