2017年8月5日:パート2

 今回、安倍総理が最初から河野太郎氏の外相起用を決めていたかどうかは定かでない。最初は他の人物を検討していたフシもある。が、結果として「河野太郎外務大臣」は(世論調査のデータからも)大成功だった。同様に、林芳正文部科学大臣は、伊吹前衆院議長が要請を辞退したために誕生した。これも(結論的には)大正解だったと思う。

 加計学園の獣医学部新設問題の当事者でもある文科大臣は、恐らく今、最も難しい役職だ。でも、清廉で頭脳明晰な林芳正大臣なら、きっと適切に対処してくれるだろう。というか、今、林芳正氏の他に文科大臣が務まるひとは思い浮かばない。

 林芳正参院議員の閣僚就任は4度目。自分が知る限り、過去、参院議員として4回、入閣した政治家は皆無だ。しかも大臣として所掌したのは、金融・経済、防衛、農水、文科という幅広い分野。まさに党内きっての政策通!「政策オールマイティー」の面目躍如と言ったところか。

 ちなみに、参院議員として総裁選に出馬したのも「ヨッシー」(芳正氏のニックネーム)が初めてだった。安倍総理が立候補していたこともあって、応援は出来なかった。が、(口には出さなかったが)同じ参院議員として、実はとても嬉しかった。(ニッコリ)

 林芳正氏が入閣する度に、人物紹介の中で必ず取り上げられるのが、議員バンド「Giins」による音楽活動だ。今回も4人のメンバーが揃って歌う映像(林芳正参院議員、浜田靖一衆院議員、小此木八郎衆院議員、松山政司参院議員)を何度かTVの画面で見た。

 あ、そうか。今回の内閣改造で、Giinsのメンバー4名のうちの3名が同時に入閣したことになるわけだ。これって結構、スゴいな。(笑)

 実は今の「Giins」(議員ズ)が、正確には「2代目Giins」であることを知るひとは、意外に少ない。(まあ、どうでもいいことだけど。(笑X2))初代のメンバー(=Giinsの創設者)は、山本一太と林芳正だった。

 ヨッシーとは平成7年の当選同期。同じ30代で当選したこともあって、最初からとても気が合った。芳正氏の国際派としての幅広い見識、政策の豊富な知識は尊敬していたし、ゆったりした性格も好きだった。河野太郎とはまた違う「ある種のオーラ」があった。

 学生時代にロックバンドをやっていた音楽好きの2人は、最初から「音楽を政治活動に取り入れられないか?」「音楽の力で若者の政治離れを食い止められないか?」という問題意識を共有していた。何度か話し合って、「政治メッセージを織り込んだオリジナル曲を通じて、若者に政治の大切さを訴える」というGiinsのコンセプトを練り上げたのだ。

 初代Giins(?)は今から約20年前、都内のライブハウスでデビューした。その時、一番前の席で聴いてくれたのが野田聖子衆院議員(当時)だった。群馬県でも何度か「賛否両論:ライブ&トーク」というイベントを開催した。山口県でも演奏した。やはり同期の馳浩参院議員(当時)の要請で、石川県に遠征したこともあった。今となっては、懐かしい思い出だ。

 当時、山本・林は本当に仲良しだった。音楽だけでなく、様々なプロジェクトを一緒に進めていた。安倍晋三衆院議員(当時)の事務所スタッフから、「一太さん、あまり芳正さんと親しくなり過ぎないでください!先代の時代からライバル関係なんですから!」と言われるほどだった。(笑X2)芳正氏の米国人脈のお陰で、共和党の党大会も視察することが出来た。あの時のことは、今でも感謝している。

 その「いつもツルんでいた2人」がある時を境に「疎遠」になった。周りから、よく「一太さんと芳正さん、あんなに親しかったのに?!なぜ、仲違いしてしまったの?!」と聞かれた。

 今、思い出したが、心配した河野太郎衆院議員(当時)が、「一太さんとヨッシーが仲悪くなったので皆、困ってるんですよ。若手で一緒にやりたいこともあるのに!」と電話して来たこともあった。

 林芳正氏と「ほとんど会わなくなった」理由はシンプルだ。ヨッシーに全く非はない。こちらのほうから一方的に離れた。「Giins」も勝手に解消した。今更、細かい事情は書かない。が、芳正氏に対して、本当に失礼だったと思う。どれだけ相手の感情を傷つけたか分からない。

 一度、どこかで、ちゃんと謝りたいと思っているうちに、10年以上、時間が過ぎてしまった。(ガクッ)この機会を逃すと、恐らく生涯、謝るチャンスがないと思う。(笑)だから、謝罪の言葉をしっかり「直滑降ブログ」に書き残しておく。

 「ヨッシー、あの時は本当にごめんなさい!!とても反省しています!!」

 今さら、お詫びしたところで「元の関係」に戻れるわけもない。そんなことを望んでもいない。今や参院自民党の重鎮で、総裁候補の1人とも目される芳正氏が、こんなちっちゃな過去の出来事に拘っているはずもない。そもそも、そんなことを気にする暇はないはずだ。(笑X2)

 それでも、生きているうちに(?)これだけは言っておきたかった。キムタロだって突然病魔に襲われ、あっという間に逝ってしまった。現時点では「山本一太はかなりの健康体」だと自負しているが、人間なんていつどうなるか分からない。最近、よく思う。「後悔を残さないように、誰に対しても、伝えるべきことは伝えておこう!」と。

 安倍総理は2度、首相になった。通算、5年も日本のリーダーを務め、すでに歴史に残る実績を残している。最早、林芳正大臣と安倍総理が「同じ選挙区で戦う」などということもあり得ない。

 今は心からこう思っている。自分自身がその時、応援出来るかは分からないが、芳正氏にはぜひ、あきらめずに「総理を目指してもらいたい!」と。いや、「どこかで、こういう本物の国際派政治家に一度、総理をやって欲しい!」と。

追伸:正直言って、ヨッシーが衆院に転向したい気持ちは良く分かる。もし林芳正参院議員ではなく、林芳正衆院議員だったら、「岸田派」ではなく「林派」だったかもしれないからだ。

 それはともかく、岸田政調会長には、(石破さんや野田聖子さんと共に)ぜひとも次の総裁選に名乗りを上げていただきたい!個人的な願望だ。