2017年8月1日:パート2

 14時30分。新青森ー大宮間の新幹線車中でブログを書き始めた。大宮駅で乗り換えて群馬(高崎)に向かう。

 行きは列車で新青森駅へ。そこから奥羽本線で川部駅まで移動。駅の改札口まで、弘前市議(木村太郎事務所の元秘書)が迎えに来てくれていた。木村太郎衆院議員の自宅は車で5分ほどの距離。到着したのは昼12時だった。

 密葬の直前だったにもかかわらず、真紀子夫人、ご両親、親族の方々が待っていてくれた。大学生の長男とも会った。見るからに好青年だった。お線香を上げ、遺影の前で手を合わせた。

 真紀子夫人から、キムタロの愛用していたネクタイを3本、形見としていただいた。そう言えば、こんな色が好きだったよなあ。昨年夏のひまわり会(木村太郎代議士の女性後援会)の懇親会の余興ステージに夫妻と一緒に仮装して登場した。スマホに保存してあるその時の写真も受け取った。あの会では、明るくてチャーミングな真紀子夫人の津軽弁(?)が最高にウケていた。

 写真の表情はいつものキムタロだ。この頃は本当に元気だったのに…。ちょうど、定期の精密検査で病気が見つかった頃だと思う。

 後から分かったことだが、今年に入ってから(永田町の一部でも)木村太郎氏の健康不安説が流れていたようだ。特に地元では「木村太郎氏が痩せて顔色も良くない。体調が悪そうだ」と囁かれていた。それでも、ほとんどのひとは「病魔に侵されていること」を知らなかった。本人も事務所も一切、外に漏らさなかったからだ。

 体力的には相当辛い時期もあったに違いない。それでも、周りには病気を隠し、最後まで衆院の特別委員長として頑張り抜いた。政治家としての覚悟は並大抵ではない。さすがだと思う。

 それもそのはず。祖父は衆院議員、父は青森県知事という政治の名門に生まれながら、大学在学中に田中角栄元首相の書生をやり、大学卒業後は三塚博外相の秘書を務め、青森県議に2回、当選した後で国政に進出した。以来、7期連続当選を果たしている。まさに「叩き上げのサラブレッド」だ。

 木村太郎議員が最後に地元に戻ったのは7月17日。亡くなる8日前だった。毎年、木村太郎氏の誕生日(7月20日)も兼ねて開催される後援会主催の「サマーナイト」に出席したのだ。もちろん、短時間しかいられなかったと聞いた。

 毎年、この日は昼から女性のひまわり会、続けて若手の会「太山会」(たいざん会)が行われる。大勢のキムタロ支持者が一同に会する。このイベントに一度でも足を運べば、「木村太郎氏がなぜ選挙に強いのか?」がよく分かる。どうしてそこまで詳しいのかって?!少なくとも過去、3、4回はこの会のゲストに呼ばれているからだ。

 駅と自宅を送り迎えしてくれた弘前市議(元秘書)によると、この時、本人はさすがに憔悴していて、歩くのもやっとだったらしい。入院中の病院から無理して駆けつけたのは間違いない。

 車の中で市議が言った。「太郎代議士の健康は大丈夫かと地元で囁かれていたのは事実ですが、体調は一進一退だったんです。3月くらいには少し体重も戻ったし。でも7月17日のサマーナイトでは、集まった人たちも皆、驚いていました。ここまで悪かったのか、と。ひまわり会では涙を流す女性もいたんです。」

 「きっとドクターからは止められたと思います。でも、本人がどうしてもと言って足を運んだのだと思います。今、考えて見れば、太郎代議士も覚悟して(皆に最後の挨拶をするために)顔を見せてくれたのかなあと…。」

 キムタロは、いつも飄々としていた。過去のブログでも触れたが、あの独特のユーモアセンスが好きだった。(笑)ジョークが大好きだったが、根はとても真面目だった。中央の仕事にも、地元の活動にも全力で取り組んでいた。実直で、義理人情に厚い青森県人だった。山本一太の派閥復帰のために(頼んでもいないのに)奔走してくれた。木村代議士の友情は生涯、忘れない。

 政治家としては(山本一太と同じくらい?)不器用なところがあった。でも、ずる賢く立ち回らないところが魅力だった。当選7回。もう少し世渡りが巧みだったら、とっくに農水大臣か防衛大臣になっていたはずだ。地元でも「今度こそ入閣!」という期待が高まっていた。本当に無念だったと思う。

 今日、車で送り迎えをしてくれた市議は、9年前、キムタロと2人で辞任した安倍総理の自宅を訪ねた際、東京事務所の秘書だった。「総理の自宅までお2人を乗せて運転したのは私です。なかなか家から出て来ないのでヤキモキした憶えがあります」と話していた。

 木村太郎代議士の秘書から政治の道に進んだひとは4人。1人は県議、2人は市議、もう一人は町長として活躍している。政治家・木村太郎の志は、様々な形で未来に引き継がれていくだろう。肉体は消滅しても、キムタロの記憶は、彼を愛した多くの人々の胸に生き続けるだろう。

 キムタロ、本当にありがとう!!君のことはけっして忘れない!!大好きだった故郷の地で安らかに眠ってください。合掌。