2017年7月26日

 この26日付のブログは、27日の午前1時に書いている。昨晩は何ひとつ、やる気が起きなかった。ブログの更新画面も開かなかったし、ツイートもしなかった。52歳で突然、逝ってしまった木村太郎衆院議員の懐かしい記憶が、次々と胸に浮かんでは消えた。今更ながら、人生の儚さ、虚しさを感じた。

 眠れないので、(小さな音で)アコギを弾いた。特訓中の「鱗」のコードを確認し、BONJOVIの「IT'S MY LIFE」も歌ってみた。その後で、キムタロがよくカラオケで歌っていた演歌「新橋2丁目7番地」を弾いてみた。間奏の度に、「ね、この靴磨きの歌、歌詞が泣かせるだろう?」とか言いながら、マイクを握っていた。

 「キムタロ」の独特のユーモアセンスが好きだった。(笑)会う度に冗談ばかり言っていたが、根はとても真面目だった。仕事には一切、手を抜かなかった。

 大きく深呼吸をして、ブログを続ける。昨日(26日)の出来事を振り返ってみよう。

 早朝。生まれ故郷の草津温泉で目を覚ました。町役場で黒岩町長と会った。主な話題は草津町の現状や観光戦略。短い時間だったが、幾つか要望も聞いた。ふるさと納税をめぐる草津町と総務省との議論は、きちっとフォローさせてもらう。

 昼過ぎ。議員会館事務所に到着。秘書と打ち合わせをした後、TV朝日のハイヤーに乗った。昼12時50分から13時15分まで「ワイド!スクランブル」に出演。テーマは閉会中審査と今後の安倍政権だった。

 予想どおり、今回も「直滑降ブログ:苦言シリーズ」の内容がスタジオのパネルで紹介された。時々見るこの番組のMCは橋本大二郎氏と大下容子氏。この2人は、厳しい発言をしても品がある。この日のコメンテーターは井筒和幸監督。辛辣な口調だったが、優しかった。「ワイド!スクランブル」の感想は改めて書く。

 14時。党本部で開かれた憲法改正推進本部へ。テーマは「1票の格差と合区」だった。「合区解消」を強く求める立場で発言した。この件についても、どこかで詳しく解説する。

 16時。参院自民党による茨城知事選挙応援の打ち合わせに出席。仙台市長選敗北の流れを断ち切るためにも、断じて負けられない。党本部か現地から要請があれば、(微力ながら)応援に入る!

 18時30分。都内のホテルで行われた「参院平成研究会」の懇親会に顔を出した。山本一太はこのグループの「客分」ということになっている。「客分」という言葉がとても気に入っている。(笑)絶妙の距離感だ。

 相変わらず、とてもいい雰囲気だった。吉田博美会長(参院自民党幹事長)、30名を超えるメンバーの皆さん、今回も声をかけていただき、ありがとうございました!スゴく嬉しかったです。

 政界でも、地元でも、「山本一太は福田派(清和政策研究会)」というイメージが強い。実際、政界デビュー以来、15年間もこの政策グループで活動した。

 亡父山本富雄は、福田赳夫元総理の地元の城代家老で、清風会(参院福田派)の会長でもあった。三塚博元清和会会長は仲人親でもある。同じ派閥の小泉純一郎元総理と安倍晋三現総理を熱烈に応援して来たのは周知の事実だ。

 派閥を抜け、ボヘミアンになった後は、「吉田博美派、武見敬三グループ所属」ということになっている。(笑)この経緯についても一度、詳しく書こうと思っている。政治家としての軌跡を残しておきたいからだ。

追伸:今日(26日)もいろいろなことがあった。1つ1つの空間で全力を尽くした。が、どこか上の空だった。亡くなった木村太郎衆院議員のことが、ずっと頭から離れなかった。

 午前6時59分。草津温泉のホテルの部屋で携帯が鳴った。木村太郎夫人(真紀子さん)からのメールだった。「一太さんには、元気なうちに来て欲しかった。でも、忙しいと思って言えなかった。遅かったです」と書いてあった。

 4、5通のメールが続けざまに届いた。「安倍総理が第1次安倍内閣で首相を辞めた時、2人で安倍総理の自宅にお見舞いに行ったというあの話が懐かしいです」「一太さん、ありがとう。太郎さんと一太さんは仲良しでしたね」とも書いてあった。

 「最後の最後まで、政治家木村太郎として頑張りました。ずっと忘れないでください」という言葉に、思わず涙が溢れた。「けっして忘れませんよ!」と返信した。

 少し気持ちが落ち着いたら、木村太郎代議士を追悼するブログを書く。昔から「あまり寿命は長くない」と思い込んでいたが、考えを改める。こうなったら、キムタロの分まで健康に長生きするしかない!