2017年7月25日

 

 夕方。新幹線で軽井沢駅に向かっている。今晩は久々に生まれ故郷(草津温泉)に1泊する。「天下の名湯」に浸かるのは何年ぶりだろうか?

 山本一太草津町後援会の現会長である辣腕の現町長、観光カリスマとして活躍する前町長(前後援会長)にも会う。「草津で生まれて草津で育った」群馬の国会議員は山本一太しかいない。もともと、草津の老舗旅館「山田屋」の息子だ。

 本日、午前9時から(昼を挟んで)5時間コースの参院予算委員会があった。何度かもめる場面はあったものの、無事に終了。「各党の質問者全員の質疑がTV中継に収まった」のは良かったと思う。

 委員長という立場を考えて、個々の質疑に対する感想を書くのは(いつものとおり)控えたい。が、改めて思った。「政府与党にとっては、衆院より参院のほうが手強いのではないか」と。

 昼は1時間の休憩。予算委員会室から議員会館事務所に向かう途中で、秘書から「木村太郎衆院議員が急逝した」と伝えられた。

 「え?あのキムタロが?!」一瞬、耳を疑った。まだ52歳なのに?!あんなに元気だったのに?!とても信じられない。昨年から病魔と闘っていたなんで、ちっとも知らなかった。

 木村太郎前首相補佐官とは、とても仲良しだった。かつて同じ派閥(清和政策研究会)に所属していた。選挙は滅法、強かったが、頼まれて何度も青森の選挙区に足を運んだ。昨年の木村太郎後援会主催の「女性の集い」では、木村夫妻と一緒に余興のステージにも登場。3人で漫談までやった。

 「いったちゃん、そろそろ派閥(清和政策研究会)に戻って来てよ!」が最近の口癖だった。頼まれてもいないのに、総理や派閥幹部に「山本一太の派閥復帰」を働きかけてくれた。復帰は実現しなかったが、「キムタロ」の友情は忘れない。本当に感謝している。

 ああ、お見舞いにも行けなかった。せめてもう一度、あの笑顔を見たかったなあ。(涙)ご遺族の方々にかける言葉が見つからない。心からご冥福をお祈りします。

 もう軽井沢か。今日は何もやる気が起こらない。