2017年6月3日:パート4

 間もなく午前零時。BBCのニュースを見ながら、本日4本目のブログを書き始めた。

 今晩は都内の貸スタジオでアコギの指導を受けた。え?これは仕事だ。6月12日の「政経セミナー&音楽ライブ」でマジに歌わねばならない。(ふう)

 明日は午前中の飛行機で沖縄県に飛ぶ。自民党青年局主催の街頭演説会に参加するためだ。那覇市議でもある県連の青年部長と半日、行動を共にする。もちろん、かりゆしを着ていくことにする。これでも元沖縄担当大臣ですからね!(笑)

 ここからは前回のブログの続編。地元後援会組織拡充・強化の現状報告を続ける。

 <太田市>

 新たに立ち上げる太田市の山本一太後援会の会長は、先般の市長選で再選を果たした清水聖義市長にお願いした。その場で、「分かった。一太さんの会長なら、喜んでやらせてもらうよ!」と快諾してくれた。(感激)

 昨年、清水市長が再出馬を表明した直後から、「清水市長の再選こそ太田のためになる。いかなる場合も、自分は現職の清水市長を応援する!」と公言し続けて来た。「情勢を見て動く」みたいなことは一切、しなかった。その一途な気持ちは、市長本人にも、市長を応援する人たちにも十分、伝わっていたようだ。(ニッコリ)

 市長選の結果がどうあれ(必ず当選すると確信していたが)、太田の後援会長は、政治家として尊敬する清水市長にお願いするつもりだった。あらゆる意味で、最初からこのひと以外には考えられなかった。これだけの発想力と行動力を兼ね備えた首長は、全国を探してもなかなか見当たらない。

 気鋭の若手経営者である「太田一太会」の会長は、もともと清水市長の熱心な支持者だ。山本事務所の地区担当秘書が清水事務所のスタッフの人たちに日頃からとてもお世話になっている。この人々の力も借りつつ、2年後の選挙に向けた太田市の支援態勢を強化していくことになる。

<館林市>

 過去のブログでも触れたが、山本一太館林後援会の初代会長は、安楽岡前市長に内定していた。安楽岡前市長をトップとする後援会組織の概要もほぼ固まっていた。

 市長室で最後にお目にかかった際には、「新しい後援会組織の幹部には、少し若手も入れたほうがいいな。よし、オレが秘書の内山君とよく相談しておくよ!」と話していた安楽岡前市長が急逝。しばらくの間、途方に暮れていた。

 が、故・安楽岡前市長の志を継ぎ、補欠選挙で当選した自分より若い新進気鋭の須藤和臣・新市長(前県議)が、山本一太館林後援会の会長就任を受諾してくれた。須藤市長が県議時代は、同期の県議グループと勉強会を作っていた。一緒に韓国出張にまで行った仲間だ。須藤市長の変わらぬ友情に感動した。

 須藤市長、ありがとうございました!この恩義は忘れません。必ずどこかで恩返しをさせていただきます!!微力ながら、自民党県連会長としても須藤新市長の挑戦を全力で応援させてもらう。

<みどり市>

 山本一太みどり市後援会の初代会長は、やはり現職の石原条市長に引き受けてもらった。もともと自分より若い石原市長とは兄弟みたいな関係だ。

 石原市政に対する評価は高いし、何より選挙が滅法強い。石原後援会長が決まったことで、野党がみどり市出身の対抗馬を立てる可能性はほぼなくなったと思う。ちなみに、みどり市には、東部に独立した後援会(みどり市東後援会)もある。

 現職の3人の市長が新後援会の初代の会長になってくれたのだ。どんな強敵が現れようと、太田、館林、みどりは断じて負けられない!(ふうX3)

 あ、そろそろ、シンガポールに国際電話をかける時間だ。シャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)の様子を聞かないと。

 この続きは次回のブログで。