2017年6月3日:パート2

 5月28日。前橋市内の某ホテルで開催した「第1回山本一太後援会代表者・選挙戦略会議」は画期的な試みだったと自負している。

 「選挙の2年前に全県(県内各地)の後援会幹部に集まってもらい、議員本人(候補予定者)がその場で次の選挙の具体的な戦略や目標を提示し、自由に意見交換する!」こういう発想自体、これまでなかったことだと思う。

 そもそも、これだけの会議をやるためには、鶴舞う形の広い群馬県各地に「実質的に機能している後援会組織」がなくてはならない。

 戦略会議にご出席いただいた後援会関係者の皆さん、お忙しい中、本当にありがとうございました!この会議の開催のために汗をかいてくれた地元秘書チームにも心から感謝している。後藤さん、内山君、小渕さん、原さん、佐久間さん、お疲れ様でした。東京事務所の2人にもお礼を言いたい。

 この日、会場に参集したのは200人余り。でも、ただの200人ではない。1人1人が県内各地の後援会の幹部(会長や幹事長等)なのだ。それぞれ各地域のプレート(札)が立てられたテーブル席に座ってもらった。ひとことで言うと、自民党のミニ党大会のようなセッティングだった。頭に描いていたイメージとはちょっと違ったか…なあ。(笑)

 戦略会議の直前、地元の秘書たちから受け取った各地区の最新の後援会役員名簿にさっと目を通した。改めて思った。「こんなに素晴らしい方々が応援してくれている。自分は政治家として本当に幸運だ!」と。

 会議では、最初から最後まで自分が喋った。最初に動画やOHP(表や数字のデータ)を見せながら、60分間のプレゼンをやった。

 後援会組織の新設、拡充、強化の現状を報告すると同時に、過去4回の選挙実績を検証した。その結果を踏まえて、今後2年間の戦略、得票数60万票超えと得票率75%という無謀な(?)目標、各後援会への要望等について力強く語った。

 会議の後で某地区の後援会長から言われた。「一太さん、あれは説明というより、ほとんど街頭演説に近かったよな。いつものことだけど、あのエネルギーには圧倒されたよ!(笑)」と。演説の後の30分間の質疑応答でも、自分が司会を務めた。

 出席者(=後援会幹部)との意見交換では、(予想していたとおり)「将来、知事になることは考えていないのか?」という質問が出た。参院選と同時期に行われる次回の知事選挙への出馬を強く促す意見もあった。

 信じていただけないかもしれないが、最近、あちこちで「山本一太知事待望論」なるものが耳に入って来る。自分は物事を大袈裟に言ったりしない。西でも東でも、本当にいろいろな場所で(しかも様々な人たちから)「ぜひ知事になって欲しい」と本気で言われるのだ。

 「選挙の2年前からここまで精力的に地元の支援組織を広げている議員は見たことがない。ことによると知事選を狙っているのではないか?」との憶測も広まっているようだ。

 ここまで噂が拡散されて来ると、さすがに知らんぷりは出来ない。いい機会なので、このブログでも知事選に対する自分の考え方を明確にしておきたい。

 政治家山本一太は、群馬県で生まれて、群馬県で育った「生粋の上州人」だ。同じ幼稚園に通った友達も、小中学校の同級生も、高校時代の悪友たちも群馬にいる。群馬選挙区で参院議員に当選して22年。毎週のように地元に戻り、上州の大地を駆け回って来た。故郷に対する思い入れは人一倍のものがある。

 加えて言うと、愛する故郷の県民のひとたちは、過去4回の全県選挙で山本一太に圧勝のトップ当選を与え続けてくれている。しかも、毎回、得票を増やしているのだ。群馬県民が大好きなのは当然でしょう?(笑X2)

 だから、こんな欠点だらけの「ちび政治家」である自分に対して、都市部でも郡部でも、「一太さん、知事になって群馬の発展のために働いて欲しい!」「一太君が知事選に立候補するなら絶対に応援する!」などと言う人々に遭遇したら、嬉しいに決まっている!ご期待は、とてもありがたいことだと思う。

 ただし、現時点で次の知事選挙に出ることは全く考えていない。選挙戦略会議は「2年後の参院選を勝ち抜くため」に開催した。これからも国会議員として日本と群馬の発展に貢献したいと考えている。なぜそう思うのかは次回のブログ(山本一太知事待望論に答える!:その2)で。