2017年5月24日:パート2

 13時からの役所のレクが終わった。日印原子力協定は重要だ。参院でもしっかり議論する必要がある。

 さて、次の日程まで少し時間が出来た。このまま、前回のブログの続編に突入する。政治家が身を護るために「情報力」がいかに死活的な意味を持つのか?そのことを痛感したエピソードを記しておきたい。これまで誰にも言ったことのない話だ。

 今から22年前、参院選挙で初当選した。亡父の急逝を受けた「弔い合戦」だった。まだ37歳だった。

 今、振り返ってみると、かなり生意気だった。30代で国会議員になったことで、多少は「勘違い」していた部分もあったかもしれない。恥ずかしい失敗も結構、やらかした気がする。(反省)

 加えて、政治活動に新しい手法を持ち込もうとしたことで、地元の長老グループの反感を買った。利権に関わることを嫌った(いわゆる「口利き」はやらないと公言していた)ことも、メディアに積極的に露出したことも、彼らにとっては「全てが鼻につく」みたいな感じだった。

 2度目の選挙が終わったあたりから、包囲網(?)が強まっていくのを感じた。3度目の選挙が近づくにつれ、長老グループの一部による「一太降ろし」の動きが本格化した。ある晩の会合で、実力者の根回しが実際に始まっていることを察知した。「こうなったら正面から戦うしかない!」と覚悟を決めた。

 その夜から、決死の情報収集活動を開始した。戦うべき相手のことを徹底的に調べた。あらゆる人脈を駆使し、政敵(?)の人間関係、ビジネスの状況、行きつけの店から噂話に至るまで、研究に研究を重ねた。過去の資料を集め、様々なひとに会って話を聞いた。政治活動の合間に、必死で敵方の「弱点」を探した。

 そのリサーチの過程で「知らなかった事実」(+知りたくなかった事実)が幾つも判明した。が、最大の成果は「過去、ある金融機関のお金が大量に使われた」疑惑に辿り着いたことだった。

 その穴埋めをしたと思われる驚くべき人物の名前も浮上した。事実だとすれば、(時効になっていたとしても)明らかな不正行為だと思った。これ以上、詳しいことは書かない。

 最後まで追い詰められた時には、「この問題の経緯をまとめたメモ」を(当時、注目を集めつつあった)自身のブログで公表するつもりだった。敵方から、名誉毀損で訴えられるリスクもあったが、それはそれで「かえって話題になる」と思っていた。この疑惑が表に出ただけでも、「自分を潰そうとしている人々」には大きなダメージになるという確信があった。

 結局、苦労してまとめ上げたこのメモは、外に出さなかった。長老グループからの圧力や恫喝が一気に弱まったからだ。その後、「候補者差し替えの動き」は自然消滅した。相手側に確かめたわけではないが、政治家山本一太の覚悟が伝わったからだと信じている。それ以外に思い当たる理由がないもの。

 長老グループは、こう囁き合ったに違いない。

 「山本一太なんて、2世議員のただのボンボンだと思っていたが、ここまでやるなんて、案外、侮れない。しかもブログとかいう情報を拡散するよく分からない装置を持っている。小生意気な小僧ではあるが、扱いには少し注意したほうが良さそうだ。下手をすると、こっちにも弾が飛んで来る!」

 長老グループとのせめぎ合いを通じて、自分は「政敵と戦う」ための心得を学んだ。それは、「どんな立派に見える人間にも弱点がある」ということ。そして、「相手がどんな権力に護られていようと、こちらが捨て身になれば必ず、一矢、報いることは出来る!」ということだ。

 もう1つ、政治家として「情報力が決定的な意味を持つ」と強く感じた場面があった。それは、3回目の参院選挙でのこと。

 この選挙の対抗馬は、亡父・山本富雄が生涯の師と仰いでいた群馬出身の元総理大臣と同じ名字を持つ候補者(国民新党公認、民主党推薦)だった。

 あ、そろそろミーティングの場所に向かわないと。その3に続く。