2017年3月7日

 

 間もなく23時。 熱い紅茶が美味しい。

 

 午前中は2時間コースの参院予算委員会。 自民党と民進党の2人の議員が質問に立った。 自民からは予算委員会初登場のルーキー、朝日健太郎参院議員。 スポーツを活用した経済振興策等について関係大臣に質問した。 爽やかで、中身のある質疑だった。 朝日健太郎、いいじゃん!!

 

 昨晩、安楽岡一雄・前館林市長の夢を見た。 那覇の居酒屋で沖縄の市長たちに囲まれていた。 一緒に沖縄に行ったこともないのに?!

 

 かりゆし姿の市長が笑いながら言った。 「一太君、知ってるかい。沖縄のひとが長生きなのは、ゴーヤチャンプルを食べてるせいなんだよ!」と。 そこで目が覚めた。

 

 安楽岡市長は知る人ぞ知る「酒豪」だった。 仲間とお酒を飲むことが何より好きだった。 が、お酒を楽しむだけでなく、飲みニュケーションを通じて、あらゆる分野に人脈を広げていた。 安楽岡市長にとって「飲むこと」は人生の喜びであると同時に、政策の知恵を得るための情報収集の空間でもあった。

 

 月に3、4回、突然、携帯に電話がかかって来た。 いつもほろ酔いだった。 出られないこともあったが、必ず留守電が残っていた。

 

 「あ、一太さん。今ね、00大学の00教授と飲んでるんだけど、あなたの話になってさあ。ちょっと待って、電話を代わるから!」「今晩は、沖縄県の00市長とお酒を酌み交わしている。前沖縄担当大臣と話したいというんで、連絡してみた!」「あ、急に電話して悪いね。今、仲間とご飯を食べてるんだけど、皆が一太君と話したいって言ってる。1人1人に電話を回すから、話してやってくれ。」

 

 その話を聞いた友人が言った。 「一太さん、可愛がられていたんですね。お酒の好きなひとは、酔った時、嫌いなひとには絶対、電話しないもんですよ!(笑)」と。

 

 安楽岡市長は、先月の中旬、3期目の途中で亡くなった。 まだ69歳だった。 やり残したことも一杯、あったはずだ。 さぞかし無念だったと思う。

 

 優しくて、懐が深くて、本当にチャーミングなひとだった。 葬儀で弔辞を読んだ同級生が声を震わせながら、「あの頃の君は、本当にカッコ良かった!」と話していた。

 

 前市長は、高校時代から正義感が強かったそうだ。 ケンカも滅法強くて、仲間が他校の生徒にイジメられた時は、木刀を持って駆けつけたりしたらしい。 あの穏やかな表情からは、ちょっと想像しにくいなあ。

 

 昨年、地元担当の秘書と市長室を訪ねた。 立ち上げの準備を進めている山本一太・館林後援会の会長就任をお願いするためだった。 その場で快諾してくれた。 あの時の市長の言葉が忘れられない。

 

 「え?市長という立場だと迷惑をかけるんじゃないかって?!そんな心配は要らない。(笑)一太さんの頼みなら喜んで後援会長は引き受けるよ!ただし、新しい後援会には、少し若い世代も入れたほうがいいな。俺も人選をよく考えてみる!」

 

 どなたが後継の市長になろうと、安楽岡前市長の夢と志は必ず(何らかの形で)引き継がれるだろう。 そのことを確信している。