2016年7月25日:パート2

 間もなく午前1時。 友人と夜遅めのお茶を飲み、1時間ほど前に戻って来た。 相変わらず思考が柔軟だし、国際感覚もあるし、センスも抜群だ。 こういうひとって、話しているだけでエネルギーをもらえる。(ニッコリ) 

 「一太さんは、断然、面白いですよ!」 このひとが(お世辞でも)こう言ってくれるのだ。 「オレも捨てたもんじゃない!」と思うことにした。(笑) この台詞だけで、1週間は走れる、な。

 高崎市内で行われた叙勲祝賀会の後、新しい切符を確保するために、地元の担当秘書が高崎駅の中までついてきた。 改札を通る前に、短く言葉を交わした。 

 「議員、いろいろ、大変ですね。」「うん、多勢に無勢みたいな感じだ。」「でも、逆に一太さんらしい。望むところって感じでしょう?」「もちろんだよ!」

 そう、山本一太のスタッフは、全員、「直滑降ブログ」の愛読者だ。(ニッコリ) 地元の支持者の方々からも、よくブログの話題が出るようだ。 それにしても、今までどんな政局でも、「多勢」だったことは、ほとんどないなあ。(笑X2)

 さて、自分は安倍総理が「権力者」だから応援しているわけではない。 安倍総理が好きだから、ずっと支持しているのだ。 過去20年間、この気持ちは変わっていない。 シンプルな感情ほど強いものはない。

 さらに言うと、現在の安倍内閣の経済、外交を含む政策が日本再興に不可欠であり、安倍長期安定政権こそが日本の国益だと信じているから、引き続き「変わらぬエール」を送り続けているのだ。

 第2次安倍政権は、すでに歴史に残る実績を積み重ねている。 安倍首相が後世、戦後の名宰相の1人として語られることは間違いないだろう。 その安倍内閣の大黒柱であり、間もなく在任期間が歴代最長となる菅義偉官房長官(アニキ)も、「ミスター官房長官」として長く記憶されるに違いない。

 ただし、そうした「長く人々の記憶に刻まれる政治家」はごく僅かだ。 どんな大物議員(実力者)でも、引退したり、亡くなった途端に、世間からすぐに忘れられてしまう。 たとえば過去20年間の内閣総理大臣の名前を全て言えるひとが、世の中にどれだけいるだろうか? 

 ましてや、5、6代前の外務大臣とか、6、7代前の防衛大臣、8代前の総務大臣なんて、誰も(恐らく自民党議員でも)憶えていない。(笑)

 民主党政権の末期、閣僚が乱造された。 「在庫一掃整理」と揶揄したマスコミもあった。 結果として、大臣のデフレ現象が進行した。 その後の自公による政権奪還選挙では、全国各地で民主党の現職閣僚や元大臣がボロボロと落選した。 

 第2次安倍内閣が発足して早3年半。 この間にも、多くの議員が初入閣を果たしている。 8月初めの改造で、また「年頃の人たち」が閣僚に抜擢されるはずだ。

 今や永田町には、(与野党問わず)閣僚経験者なんて履いて捨てるほどいる。 「元大臣」などという肩書きに、大したインパクトはない。 しかも、今、山本一太と同じ時代を生きている同世代の政治家は、あと10年もすれば、次々に政治の世界から消えていく。

 そうだとすれば、損しないように身を屈め、おべっかを使って大臣や党の役職をもう一度、恵んでもらうより、自分らしく生きるほうがいいに決まっている。 1人の政治家として、自らの信じることを堂々と発信し、思ったとおりに行動したほうが、絶対に幸せだ。 人生は一度しかない。 ましてや政治家でいる時間は限られている。 大事なのは、後悔を残さないことだ。

 このブログは大勢のひとに読まれている。 詳しくは言わないが、更新する度に、与野党の議員から反応がある。 もちろん、メディア関係者にもフォローされている。 「直滑降ブログに書く」ということは、(大袈裟でなく)「公に発言する」ということと同じだ。

 すわなち、もしこのブログで参院議長問題を取り上げなかったとすれば、それは「陰でコソコソと文句を言っている」みたいなことになってしまう。

 だから、今日も改めて言う。 橋本議員会長と伊達議長の人事をセットで考えることには反対だ。 派閥の論理(数の論理)は否定しないが、参院の最高職であり、三権の長でもある参院議長を、派閥のバランスだけで選ぶようなことをしてはならない。 国民からも必ずバカにされる。

 あ、お湯が沸いた。 熱いほうじ茶を一杯飲み、腹筋と背筋をやる。


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」