2016年4月26日:パート2

 23時過ぎ。 疲れた身体に鞭打って、本日2本目のブログに取りかかった。 今晩、ある会合で会った同僚議員が言った。 「一太さんのブログ、毎日、読んでますよ。まさしく正論だと思いますね!」と。 こんなに知的レベルの高いひとに読まれているなんて光栄だ。(ニッコリ)

 2007年9月。 福田康夫内閣が誕生した。 三菱商事を退社して父君の秘書になっていた福田康夫総理の長男、福田達夫氏が、内閣総理大臣秘書官に就任した。 その後、福田総理が退任するまでの1年間、達夫氏は総理秘書官として活躍した。

 2010年夏の参院選挙の前に、福田達夫氏を参院比例区に擁立してはどうかという声が県議団の一部に出ていた。 実はその3年前、自民党県議団は2007年の知事選挙で県連幹事長だった大澤正明氏を自民党公認候補として擁立し、現職の小寺弘之前知事(故人)を打ち破っていた。 当時、県議団が恐れていたのは、小寺前知事が民主党公認候補として比例区で当選することだった。 

 「小寺前知事の群馬での比例区の得票を抑え、当選を阻むには、福田達夫氏に立ってもらうのが一番いい!」と考えた人たちがいたのだ。

 何人かの県議は実際、福田康夫元総理にこの件を打診していたようだ。 が、福田元総理はこの申し入れを受けなかったと聞いた。 いかにも康夫元総理らしいと思った。

 実はこの動きを知って、福田達夫氏に直接、こうアドバイスした。 「比例区とは言っても、要は群馬の票で当選を狙うということでしょう。今の時代、親子でというのは良くない。達夫君に政治への志があるなら、皆で応援する。分かりにくいことはやめて、お父上の後継として衆院から出ることを考えるべきだ!」と。 もちろん、自分のこのセリフを達夫氏は憶えていると思う。

 その時、達夫氏が笑いながら、こう言った。 「一太さん。全くそういうことは考えていませんからご心配なく!」というものだった。

 福田達夫衆院議員のことはこれからもずっと応援する。 選挙区の事情というより、達夫氏の人間性が好きだからだ。 窮地の時こそ、山本一太の出番が来るかもしれないと思っている。 

 が、しかし、それほど好意を持っている達夫議員だとしても、親子で故郷群馬から同時期に議員をやろうとしていたら、間違いなく同じことを書いていた。 その意味で、自分の主張は一貫している。

 それにしても、福田達夫氏には、「誰かの弱みに付け込む」とか、「この機に乗じて」みたいなあざとい所が全くない。 これこそ、亡父・山本富雄が生涯の師と仰ぎ、常日頃から「政治は最高の道徳」と語っていた故・福田赳夫元総理から、康夫総理、達夫氏と引き継がれたDNAだと思った。

 バランスを取るために言うわけではないが、中曽根康弘元首相のことはとても尊敬している。 米国留学していた80年代の初め、「ニューズウィーク」(だったと思う)の表紙に、レーガン大統領、ミッテラン大統領、中曽根康弘首相の3人の顔が並んだ。 これは衝撃的だった。

 加えて言うと、故・小渕恵三元総理はとても「懐の広いひと」だった。 けっして他人の悪口を言わない、他人を傷つけることを嫌う小渕元総理の優しさ(=人間力)は、間違いなく小渕優子氏に受け継がれている。(ニッコリX2)

 あ、お湯が沸いた。 熱い紅茶をもう一杯飲んでから、ブログの続編に突入する。


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」