2016年4月25日
午前零時過ぎ。 熱いミルクティーを一口、飲んだ。(ふう) 紅茶を飲むと、心がリラックスする。 大きく深呼吸して、パソコン画面の前に座った。
明日(4月26日)の夕方、「次期衆院群馬1区公認推薦候補者第1回選考委員会」がある。 ここからの数本のブログは、(いろいろな意味で)重要だ。 気合を入れて「言霊」を発信する。
先ずは本日の日程を振り返ってみる。 午前11時。 東京都内で岩井賢太郎・富岡市長と会った。 群馬初の世界遺産である「富岡製糸工場」の広報戦略を話し合った。 気鋭のモダン・アーティストに同席してもらった。 話題は尽きなかった。
16時。 武見敬三参院議員とEEZに関する法案の打ち合わせ。 17時からは自民党役員会に出席した。
冒頭、安倍総理から発言。 熊本地震の被災地の視察を踏まえ、これまでの政府の対応と現状について報告があった。 今回も、地震対策に全力を尽くす覚悟の言葉が総理の口から飛び出した。 「出来ることは何でもやる!」「先手先手で取り組む!」と。
与党が支援した和田候補が勝利を収めた北海道5区の補選についても言及があった。 総理に油断はない。 「大事な勝利を得た。が、今後も国民の声に真摯に耳を傾け、気を引き締めていく」と話していた。
19時30分。 月に1度の勉強会に遅れて飛び込んだ。 政局や政策、政局について議論を交わした。
さて、衆院群馬1区公認差し替え問題の続編に突入する。 ごく一部の例外を除き、近年、「同じ都道府県で親子が同時に国会議員をやる」というケースは極めて稀だ。 ましてや小選挙区制度に移行してからは、ほぼ皆無だと思う。
「親子が同じ都道府県の国会議員の議席を同時期に占めてはいけない」という明確なルールがあるわけではない。 自民党の党則で禁じられているわけでないし、ましてや法律の縛りもない。
それでは、なぜ、政治の世界で「自らは引退して2世に地盤を継がせる」というある種の不文律が守られて来たのだろうか? なぜ、小泉純一郎元総理も、福田康夫元総理も、武部勤・元自民党幹事長も、大野功統・元防衛庁長官等も自分たちは勇退して、政治への志を抱く優秀なご子息に意志を継がせて来たのだろうか? 大きく言って、次の3つの理由からだと思う。
第1に、総理や大臣を歴任したこの方々の「政治家としての美学」がある。 地元の有権者から、間違っても「公私混同している」「政治を私物化している」かのような疑念を持たれたくないという強いプライドが伝わって来る。
第2の理由は、地元の有権者、支持者に対する責任感だろう。 長年、応援してくれた人たちに「惜しまれて去る」引き際を見せることが、ある種の礼儀だと考えている。 きっとそうだ。
第3の、もしかすると最も大きな動機は「親心」だという気がする。 自らの政治の志を引き継いでもらう2世に、真っさらで爽やかなスタートを切らせてあげたいという心情を感じる。 最初から「親子独占」「私物化」みたいな批判を背負わせることはしたくないという思いがあるに違いない。
「身内のことだからこそ、我欲を抑えねばならない。」「周りから見て美しくないことは慎む。」 失われつつある(?)こうした「日本人的美徳」は、実はとても大切だ。 最近、特にそう思う。
そして、あの内村鑑三が「剛毅木訥」と表現した上州人(群馬県人)は、物事の「筋」を重視する人たちが多い。 だからこそ、大半の県議も自分と同じ感覚だと分かるのだ。
何度も言っているように、中曽根県連会長に「敵愾心」なんて全く持っていない。(笑) ほとんど話したこともない康隆氏に個人的な恨みなんてあるはずもない。 同じ状況に遭遇したら、相手が誰であっても全く同じ主張をしていた。 次回のブログでは、その点をもう少し解説したい。 よく言われる「公平、公正な審査」とは何なのかについても。
さあ、寝る前に腹筋と背筋をやらないと。
◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」
午前零時過ぎ。 熱いミルクティーを一口、飲んだ。(ふう) 紅茶を飲むと、心がリラックスする。 大きく深呼吸して、パソコン画面の前に座った。
明日(4月26日)の夕方、「次期衆院群馬1区公認推薦候補者第1回選考委員会」がある。 ここからの数本のブログは、(いろいろな意味で)重要だ。 気合を入れて「言霊」を発信する。
先ずは本日の日程を振り返ってみる。 午前11時。 東京都内で岩井賢太郎・富岡市長と会った。 群馬初の世界遺産である「富岡製糸工場」の広報戦略を話し合った。 気鋭のモダン・アーティストに同席してもらった。 話題は尽きなかった。
16時。 武見敬三参院議員とEEZに関する法案の打ち合わせ。 17時からは自民党役員会に出席した。
冒頭、安倍総理から発言。 熊本地震の被災地の視察を踏まえ、これまでの政府の対応と現状について報告があった。 今回も、地震対策に全力を尽くす覚悟の言葉が総理の口から飛び出した。 「出来ることは何でもやる!」「先手先手で取り組む!」と。
与党が支援した和田候補が勝利を収めた北海道5区の補選についても言及があった。 総理に油断はない。 「大事な勝利を得た。が、今後も国民の声に真摯に耳を傾け、気を引き締めていく」と話していた。
19時30分。 月に1度の勉強会に遅れて飛び込んだ。 政局や政策、政局について議論を交わした。
さて、衆院群馬1区公認差し替え問題の続編に突入する。 ごく一部の例外を除き、近年、「同じ都道府県で親子が同時に国会議員をやる」というケースは極めて稀だ。 ましてや小選挙区制度に移行してからは、ほぼ皆無だと思う。
「親子が同じ都道府県の国会議員の議席を同時期に占めてはいけない」という明確なルールがあるわけではない。 自民党の党則で禁じられているわけでないし、ましてや法律の縛りもない。
それでは、なぜ、政治の世界で「自らは引退して2世に地盤を継がせる」というある種の不文律が守られて来たのだろうか? なぜ、小泉純一郎元総理も、福田康夫元総理も、武部勤・元自民党幹事長も、大野功統・元防衛庁長官等も自分たちは勇退して、政治への志を抱く優秀なご子息に意志を継がせて来たのだろうか? 大きく言って、次の3つの理由からだと思う。
第1に、総理や大臣を歴任したこの方々の「政治家としての美学」がある。 地元の有権者から、間違っても「公私混同している」「政治を私物化している」かのような疑念を持たれたくないという強いプライドが伝わって来る。
第2の理由は、地元の有権者、支持者に対する責任感だろう。 長年、応援してくれた人たちに「惜しまれて去る」引き際を見せることが、ある種の礼儀だと考えている。 きっとそうだ。
第3の、もしかすると最も大きな動機は「親心」だという気がする。 自らの政治の志を引き継いでもらう2世に、真っさらで爽やかなスタートを切らせてあげたいという心情を感じる。 最初から「親子独占」「私物化」みたいな批判を背負わせることはしたくないという思いがあるに違いない。
「身内のことだからこそ、我欲を抑えねばならない。」「周りから見て美しくないことは慎む。」 失われつつある(?)こうした「日本人的美徳」は、実はとても大切だ。 最近、特にそう思う。
そして、あの内村鑑三が「剛毅木訥」と表現した上州人(群馬県人)は、物事の「筋」を重視する人たちが多い。 だからこそ、大半の県議も自分と同じ感覚だと分かるのだ。
何度も言っているように、中曽根県連会長に「敵愾心」なんて全く持っていない。(笑) ほとんど話したこともない康隆氏に個人的な恨みなんてあるはずもない。 同じ状況に遭遇したら、相手が誰であっても全く同じ主張をしていた。 次回のブログでは、その点をもう少し解説したい。 よく言われる「公平、公正な審査」とは何なのかについても。
さあ、寝る前に腹筋と背筋をやらないと。
◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」