2016年4月16日

 夕方。 前橋市内のカフェで時間を調整している。 次の会合(大林裕子・吉岡町議の後援会での講演)まで30分くらい時間がある。 すかさず、ブログの続編に取り掛かった。

 熊本地震の死者が40人を超えた。 熊本地方、阿蘇地方、大分地方で余震も続いている。 とても心配だ。 政府与党一丸となって対応に全力を注ぐ必要がある。 

 本日14時から前橋市内のホテルで「第29回自由民主党群馬県連大会」があった。 記念講演の講師は福田康夫元総理。 久々に福田元総理の話を聞いた。 泰然とした「君子」(徳が高く品格のある人)の風格があった。  

 あ、そうか。 昨日(4月15日)の日程を書くのを忘れていた。 昨日の金曜日は、午前8時から自民党クールジャパン戦略推進特命委員会の役員会。 特命委員会の提言案について議論した。 午前11時からは自民党総務会、そのまま昼12時から参院本会議、昼12時30分からEEZに関する法整備の打ち合わせ、14時からの政調幹部会と続いた。

 その後、夕方の新幹線で高崎へ。 18時から高崎市議会の保守系最大グループ(新風会)の会合に出席。 国政報告(35分)をやらせてもらった。 懇親会にも最後まで残った。 すごくいい雰囲気だった。

 さて、ここからは前回のブログの続編。 衆院群馬1区の公認問題を取り上げた某週刊誌の半ページの記事の趣旨は、簡単に言うと「中曽根康弘元首相の孫で、サラブレッドである中曽根康隆氏の出馬を邪魔しているのは、参院の一匹狼である山本一太と引退しない不肖の父親の中曽根弘文氏だ」というもの。

 記事の中では、康隆氏の立派な経歴や人脈がカッコよく紹介されている。 が、ここでは言及されていない尾身朝子衆院議員の経歴も康隆氏に全く負けていない。 個人的な見解では、むしろ勝っていると思う。  

 もっと具体的に言うと、東大法学部卒という学歴から日本を代表する企業での職歴や実績、起業家としての経験、国際的な活動やバイリンガルな語学力、政策の知識、加えて2人の子供を育てあげた母親としての体験等を総合的に勘案すると、尾身朝子氏の政治家としての「実力」や「潜在力」は、名前が取り沙汰されているどの候補者をも上回っている。 少なくとも、自分にはそう見える。

 記事の中に「公認されれば当選確実と見られる康隆氏だが…」という記述がある。 が、過去のブログで指摘したように、尾身朝子さんが公認候補になっても必ず勝てる。(断言) 加えて言うと、前橋市で過去4回の選挙を戦った参院議員の感覚から見て、1区県議団の誰かが候補者になっても、絶対に勝ち抜けるだろう。

 山本一太については、こんな興味深い件がある。 「山本氏が敵愾心を燃やす相手は、実は康隆氏より父。山本氏は、参院改革を掲げて、弘文氏を党参院議員会長に担いで政審会長に就任した。しかし、敵が多い一匹狼の山本氏に辟易した弘文氏は翌年あっさり、『派閥の論理』をのんで山本氏を退任させたのだ。」

 中曽根弘文県連会長に「敵愾心」なんて持っていない。(笑) 過去のブログシリーズで何度も説明したように、相手が中曽根県連会長であろうとなかろうと、「同時期に親子で群馬の選挙区の2議席を占める」ことには(全く同じように)反対していただろう。

 自分が「参院改革を掲げて、弘文氏を党参院議員会長に担いで政審会長に就任した」という点に関しては、(いい機会なので)1つ、紛れもない事実を書き残しておく。 

 今から5年前、野党時代の参院自民党の仲間たちと、ずっと無投票が続いていた参院議員会長選挙に候補者を立てることを模索していた。 有志の議員の間に「候補者擁立の動きがある」ことは、新聞等でも報道されていた。

 ある日、同郷の先輩議員である中曽根県連会長から直接、電話がかかって来た。 「候補者を検討していると聞いたが、自分も立候補する意欲がある。ぜひ、検討してもらいたい」というお願いだった。 

 さっそく、仲間と相談した。 その結果、(細かいことは書かないが)中曽根県連会長を担ごうと決めた。 異論もなかったわけではないが、自分が皆を説得した。

 議員会長選挙は厳しい戦いだった。 が、事前の予想を覆し、3派連合の候補者と同じ票数を獲得。 最後はくじ引きで中曽根弘文・参院議員会長が誕生した。 この選挙に勝つために、人生最初で最後の「土下座」までやった。 中曽根県連会長を勝たせるために、死に物狂いで戦ったのだ。 あの土下座がなかったら、1票差で負けていただろう。(ふう)

 僭越ながら、言わせてもらう。山本一太がいなかったら、中曽根弘文県連会長が参院自民党のトップである参院議員会長に就任することは、けっしてなかった。 これだけは疑いのない事実だ。 このことに異論を挟むひとはいないと思う。 

 あの時、一緒に戦った味方も、ライバル陣営を応援した同僚たちも、この点は同じ認識だろう。 中曽根県連会長を応援している方々にも、群馬県民の人たちにも、この経緯だけは、ぜひ、知っておいて欲しい。

 え? 「山本氏は、参院改革を掲げて、弘文氏を党参院議員会長に担いで政審会長に就任した」って?!(笑) 別に政審会長になりたかったわけではない。 当時、参院自民党政審会長は自民党の役員会にも入れなかったし、総務会の幹部でもなかった。 山本一太参院政審会長の時代に、政審会長が初めて自民党役員会のメンバーになり、総務会の役員になったのだ。

 「敵が多い一匹狼の山本氏に辟易した弘文氏は翌年あっさり、『派閥の論理』をのんで山本氏を退任させたのだ」という一節は、ちょっと違うと思う。(笑) が、ここらへんの経緯については、あえてこれ以上のコメントはしない。

 政治家には、それぞれの立場というものがある。 参院改革は失敗に終わったが、自分が政審会長を務めていたあの1年、参院自民党には存在感があった。 政治家として「得難い経験」だったと思っている。

 それと、単なる「敵が多い1匹狼」だったら、あの時、中曽根議員会長を誕生させることは出来なかったと思う、な。(笑X2) が、100%、間違った表現でもない。 参院には魅力的なひとも多いが、ぬるま湯に浸かった人たちとは群れたくない。 「1匹狼でも道を切り拓け!」と励まされている気がした。

 あ、そろそろ行かないと。 この続きは次回のブログで。

追伸:今日、ふと思った。 夏の参院選挙に対する党内の認識が甘いのではないか、と。 党の執行部に油断があるとは思っていない。 が、中には、世の中のムードが分かっていない人たちもいる。 

 今、死に物狂いで頑張らないと大変なことになる。 3ヶ月後の参院選挙の頃には、状況はもっと厳しくなる。 安倍総理や菅官房長官には、1%の慢心もないのに…なあ。


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」