2016年1月17日:パート2

 日本テレビの1月の定例世論調査で、安倍内閣の支持率が45.8%に上昇した。 逆に不支持率は36.4%まで下がった。(ニッコリ) 総理の外交手腕が評価された結果だと思う。 この件については改めて解説する。

 14日、民主党群馬県連が次期衆院選挙で群馬4区に擁立する候補者を発表した。 ロサンゼルス五輪の陸上男子代表で、沼田出身の不破弘樹氏(49)だ。 農大二高時代には100メートルの日本タイ記録を、法政大学時代には日本記録をマークしている。

 福田達夫衆院議員の対抗馬に同世代の不破氏を持って来るなんて、黒沢孝行・民主党県連会長(県議)の執念としか言いようがない。 衆参同日選挙になろうと、時間差のダブル選挙になろうと、群馬4区は自分の選挙だと思って全力で応援に入る。 いかなる状況になろうと、4区の県議団や市議団等とも力を合わせ、自民党次世代ホープの議席を死守しなければならない!

 それにしても、民主党群馬県連の「本気」が初めて伝わって来た。 この流れだと、前回の選挙で独自候補擁立を断念した群馬2区と5区でも、民主党の候補者を真剣に立てようとするはずだ。 

 万一、衆院の5つの選挙区で民主党候補が出揃えば、参院選の候補者選びを加速させることは間違いない。 全県1区の参院選をカバーするための最低限の態勢が整うからだ。 

 民主党県連による次期参院選挙の候補者擁立作業は難航が伝えられている。 過去のブログで、「結局、7月の参院選で民主党県連は独自候補を立てられないのではないか。共産党の候補に乗ることも十分に考えられる」と指摘した。 が、もしかしたら、3月くらいまでに民主党公認候補が出現するかもしれない。 

 噂によれば(真偽のほどは分からないが)、黒沢民主党県連会長は記者に対して、「参院選の候補者は必ず立てる」と明言しているらしい。 以前のブログでも触れたが、今夏の参院選挙において民主党との政策論争が県民の前で堂々と行われる構図になるのは、けっして悪いことではないと考えている。 

 さて、亡母の実家である大東館の歴史は、どこかでもう少し詳しく紹介したいと思う。 が、母方のルーツはかなり分かって来た。 ここら辺で、父方のファミリーヒストリーにも光をあてて見たい。

 最も興味があるのは、父方の祖父、山本泰太郎(やまもと・やすたろう)がどんな人物だったのかということだ。 自分が生まれる前に亡くなっていた泰太郎おじいちゃんは、草津町(草津温泉)の町長だった。 

 祖父・泰太郎は、もともと草津のひとではない。 縁あって下仁田町から、草津温泉の旅館・山田屋の婿になったのだ。 「他所から婿に来て町長にまでなったひと」は、草津の歴史でも初めてだったようだ。 ちなみに、下仁田は「ネギとこんにゃく」の産地として知られている。 

 名湯草津温泉の人々、特に町の経済を牽引して来たと自負する老舗旅館のオーナーたちはプライドが高い。 事実、戦後の草津町の政治は、旅館の経営者たちが担って来た。 大東館、大阪屋、奈良屋、山田屋…。 こうした伝統のある老舗旅館の経営者が、代わる代わる町長をやっていたのだ。

 そういえば、亡母の実家の大東館の長男で、母の実兄である山本譲(ゆずる・伯父さん)も、母の弟である巌(いわお叔父さん)も草津町長を務めている。 亡父の父である泰太郎も町長に当選した。 実父も義理の兄も、草津のリーダーだった。 義理の弟の町長選出馬も後押しした。 20代の山本富雄が政治を志したのは、ある意味、自然なことだったのかもしれない。

 草津温泉は日本有数の観光地。 町民の人たちは、開放的で進取の気性を持つひとが多い。 が、反面、保守的で排他的な面もある。 こうした草津の独特の文化の中で、他所者で婿なのに「町長」に選ばれたのだ。 それなりの人物だったに違いない。

 そう言えば、泰太郎おじいちゃんは従軍している。 おばあちゃんが、「お前が生まれる前に亡くなったおじいさんは、陸軍の曹長(軍曹?)だった。筋金入りの軍人で、サーベルを持っていたんだよ!」と話していた。

 あ、もうひとつ、思い出した。 小学5年生の時、しず・おばあちゃん(泰太郎の妻)とTVの恋愛ドラマを見た。 その後でおばあちゃんがこう言った。 「まあ、まあ。私は明治生まれだからねえ。人前で接吻するなんて考えられない。だいいち、接吻みたいなことは一度もやらなかったよ!」と。 

 翌日、休み時間に小学校の教室にあるストーブを囲んだ同級生たちに、そのことを話した。 その頃は、「結婚すれば自然と子供が出来る」と思い込んでいた。 ませた友人が断言した。 「バッカだなあ。いっちゃんは騙されている!」と。 後になって、おばあちゃんが嘘をついていたと分かった。(笑) 

 明治生まれだった父方の祖母、静(しず)は明治生まれ。 明るくて、ひょうきんな愛すべきおばあちゃんだった。 若い頃は草津小町と呼ばれるくらい美人だったとか。 三味線も弾けたらしい。 祖母はどんな人生を送ったのだろうか? 生前、もっと話を聞いておけば良かった。

 泰太郎おじいちゃんは、どうやって静おばあちゃんと出逢ったのだろうか? そして、どんな理由で下仁田から草津までやって来た(=山田屋に婿入りした)のだろうか? 分からないことが山ほどある。 

 もうひとつの謎は、長男(亡父の兄)なのに、草津の細野家の養子になった細野恒雄(つねお・伯父さん)のことだ。 細野家は本当にあの伝説の人物、細野三御殿之助(ほその・みどののすけ)の子孫なのだろうか? そもそも、御殿之助とは実在の人物なのだろうか?

 父方のルーツを調べるには、少し時間がかかりそうだ。 仕事の合間に、関連の資料を集めたり、郷土史の研究家に会ったり、親戚縁者から直接、話を聞いたりする必要がある。 十分な情報が集まった時点で、改めて「山本一太のルーツ」シリーズの続編を書く。

 さあ、明日からまた「戦いの日々」が始まる。 群馬ゆかりの偉人、内村鑑三の言葉を噛み締め、逆境に(前向きに)立ち向かっていこう!!


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」