2016年1月17日

 昨日、国土交通省が長野県で転落したバスの運行会社を特別監査した。 マスコミ報道によると、杜撰な運行管理があったようだ。 運行会社の社長が数々の法令違反を認めたとか。 事実だとしたら、許しがたいな。(怒)

 さて、内村鑑三は明治27年、箱根の夏期学校で、若い学生たちに向けた講演を行った。 この時の講演のタイトルが「後世への最大遺物」だった。  

 当時、33歳だった内村は、講演の前半部分で、有名な天文学者のハーシェルが若い時に友人に語ったという言葉を引用しつつ、こんなふうに呼びかける。

 「われわれが死ぬまでにこの世の中を少しなりとも善くして逝こう。出来るならわれわれの生まれた時よりもこの日本を少しなりともよくして逝きたいではないか」と。

 その上で様々な例を挙げつつ、「1人の人間が後世に遺せるものは何だろうか?」と問いかける。  

 「お金も事業も文学も教えることも、後世に伝えられる価値のある遺物だ。が、これらのことは、やり方を間違えたら害にもなり得る。しかもこうした遺物を遺すのは、誰にでも出来ることではない。」

 そして内村鑑三は次のように結論づける。

 「誰でも遺すことが出来る後世への最大遺物は『勇ましい高尚なる人生』だ。過去にどんな立派な文学、どれほど偉大な事業があったとしても、それを遺したひとの生涯に比べたら小さな遺物である」と。

 何ものにも屈せず、自らの信念を貫き通す勇気ある人生。 その生き方そのものが後世に伝えるべき最高の価値であり、お金や事業や文学にも勝る「最大の遺物」である。 50年以上、生きているが、こんなに素敵な言葉には、なかなか出逢ったことがない。 初めてこの表現に遭遇した時は、魂を揺さぶられるような響きがあった。

 自分が子供の頃に亡母が一度だけ言った「うちはあの内村鑑三さんと遠い親戚にあたるのよ。誰にも言わず、心のどこかに置いておきなさい!」という言葉を忘れたことはなかった。 が、数年前まで、きちっと事実関係を調べたことはなかった。 にもかかわらず、上州ゆかりの偉人、内村鑑三が母方の遠い親戚(曽祖母の従兄弟だった)と知る前から、内村の箱根での講演を収めた「後世への最大遺物・デンマルク国の話」(岩波文庫)は、政治家山本一太にとって「特別な1冊」だった。

 政治家として苦しい場面に遭遇した時は、今でもこの講演録を読み返し、自分を奮い立たせる。 10年前、第一次安倍政権が発足する直前まで、所属していた派閥(清和会)の中で、一貫して安倍支持を訴え続けた。 自民党総裁選をめぐる山本一太の発言は、メディアでも頻繁に取り上げられた。 

 当時、毎週、行われていた派閥総会の席で、幹部の人たちから厳しく批判された。 全員の前で罵倒されたこともあった。 が、最後まで態度を変えなかった。 実はこの頃、「後世への最大遺物」の講演録のコピーを持ち歩いていた。 1日に何度も読み返していた。 

 あの時、内村鑑三の言葉にどれほど勇気をもらったことか。 たとえば、講演の中で、内村が徳川家康の子供の頃のエピソードに触れる場面がある。 まだ子供だった家康が川原で2組に分かれて石を投げ合っていた子供たちを見て、家来に「人数の少ないほうを助けてやれ!」と命じたという逸話だ。 家康の非凡さに言及しつつ、内村はこう主張する。 

 「いつでも少数の正義の方に立って、そうしてその正義のために多勢の不義の徒に向って石撃をやらねばならない。かならずしも負ける方を助けるというのではない。私の望むのは少数とともに戦う意地であり、精神だ。」と。 これはまさしく武士道の精神だと思う。

 さらに、内村は(講演の最後のほうで)こんな意味のことも語っている。

 「もし自分にいい条件(お金や地位や友人関係等)かあったら大事業が出来ただろうという考えも浮かぶかもしれない。が、お金がたくさんあって、地位があったから大事業が出来たところで何でもない。種々の不幸に打ち勝ってこそ大事業が成し遂げられるのだ」と。

 内村鑑三の次の言霊は、山本一太の政治家としての「座右の銘」になっていると言っても過言ではない。

 「邪魔や反対があるから面白い。邪魔があればあるほど、勇ましい生涯と事業を後世に遺すことが出来る。友達がない、金がない、学問がないのが面白い!」

 現実には、「邪魔」をなかなか乗り越えられず、悪戦苦闘している自分がいる。 いや、文句は言うまい。 だからこそ、やり甲斐があるのだ。

 「邪魔や反対があるから、逆境だからこそ面白い!」 この言葉を心の中で繰り返す度に、勇気がふつふつと湧き上がって来る!(ニッコリX20) 亡くなった両親(山本富雄と山本照子)が遺してくれた「勇気ある人生」に、心から感謝しないと。 両親の魂に恥じない生き方をしたいと心から思う。

 あ、お湯が沸いた。 熱い紅茶をもう一杯、飲もう。 明日からいよいよ活動再開だ。(よしっ!)

追伸:2014年6月8日(日)の日本経済新聞4面のコラム「政治と言葉」で、山本一太沖縄・北方相が取り上げられた。 参考までに改めて掲載しておく。

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政治家として~政治とことば~(6月8日:日本経済新聞4面:黒瀬泰斗記者)

 「何人にも遺し得る最大遺物、それは勇ましい高尚なる生涯である」。
山本一太沖縄・北方相は重圧がかかる局面になると、同郷の上州人でキリスト教思想家、内村鑑三の言葉を頭の中で繰り返す。1894年の箱根での講演を本にしたのが「後世への最大遺物」だ。

 内村は「これから生まれてくる人々や社会のために何かを残せないか」と聴衆に訴えかける。お金や事業、思想を残せなくても、勇ましい高尚な人生なら誰もが残し得る」と説く。2006年の自民党総裁選で安倍晋三首相を担いだときも、寝る前に講演録を読んだ。

 地元の群馬県は4人の首相を輩出した。「上州無知亦無才剛毅木訥易被欺」(上州人は知恵も才能もなく、気性が荒く飾り気がないお人よしである)という内村の詩を額に入れて議員会館の事務所に飾っている。

 内村は母方の遠い親戚にあたる。「最大遺物」は、後世の人に評価されるのは勇気ある決断を貫く人生だと理解している。閣僚として忙しい日々ながらも、物事は困難が大きいほどやり遂げる甲斐(かい)がある。これも内村の教えだ。(泰)
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◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」