2016年1月16日

 昨晩も今晩も腹筋と背筋をやり、夜遅く都内を(早足で)歩いた。 体力は完全に回復している。 というか、無理すれは、数日で仕事に戻ることも出来ただろう。

 が、それをやっていたら、「術後1週間は一切の発声禁止」というルールを守れなかった。 初めての全身麻酔で多少、身体のバランスも狂っていた。 体調を崩していた可能性もある。 今回、思い切って休養させてもらったのは正しかったと思う。

 来週の月曜日(1月18日)の午後、執刀してくれた先生の診察を受ける。 その日の夕方の自民党役員会から政務に復帰する!

 さあ、熱いミルクティーを片手に「山本一太のルーツ:その5」を書き上げてしまおう。 これまで書いて来た母方の家系について判明した幾つかの新たな事実を書き加えておく。

 まず、亡母(照子)の母は「はつ」ではなく、「ハツコ」だった。 さらに秋池家の「ハツコ」と大東館の山本次郎の間に生まれた子供は(亡母を含む)11人。 つまり、母は8人兄弟ではなく、11人兄弟(末弟の靖は2歳で死去)だった。

 過去のブログに何度も登場した「かく」は、「カク」が正しい名前の表記らしい。 内村鑑三の従兄弟にあたる「カク」は離婚したのではなく、夫と死別して高崎の実家(秋池家)に戻ったことが分かった。

 高崎藩士・秋池教知の娘(三女)だった「カク」は、福山藩(広島県)の藩士の子、藤井九郎に嫁いだ。 九郎は横浜で建築業を営んでおり、スペイン公使館の建築なども請け負ったらしい。 が、会社経営は苦労の連続で、九郎自身も急死した。 そのため、「カク」はハツコ、一郎、活二の3人の子供を連れて実家に引き取られたのだ。

 従兄弟同士だった「カク」と「内村鑑三」との関係についても新事実にたどり着いた。 「カク」は10才年上の従兄弟である「鑑三」をとても尊敬していたとのこと。 事実、「カク」は、小石川の教会にも行っていたらしい。 長女である「ハツコ」に洗礼を受けさせたという話も聞いた。 ちなみに、山本家は仏教の曹洞宗だ。 家族にクリスチャンはいない。

 なるほど、こうやって調べていくと、様々な人間模様が浮かび上がって来る。 あ、そろそろ休まないと。 明日のブログ「山本一太のルーツ:その6」に続く。 


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」