2016年1月14日

 手術の日からちょうど7日目。 担当医の先生から、「絶対に声を出してはいけない」と言われた1週間の最後の日だ。 明日からは喋ってもいいはずだけど、どのくらい話してもいいのか? 大きな声を出すのはまだ控えたほうがいいのか? 病院に確認する必要がある、な。

 ここからは「山本一太のルーツ:その1」の続編。 世の中には、やたらと「自分はこんなスゴイ家系だ」とか、「どこどこの名家と血統が繋がっている」とか、「親戚にこんな偉いひとがいる」みたいなことを吹聴する人たちがいる。

 以前、会う度に「私の妻は00の皇族の血を引いている」みたいなことを言うひとがいた。 あまり頻繁に口にするので少し調べてみたら、全く事実無根であることが分かった。(苦笑) 「なぜこんなウソをつく必要があるんだろう。可哀想なひとだなあ!」と思った。

 それ以来、必要以上に家柄の立派さを喧伝する人々は、あまり信用しないことにしている。 逆に何か「隠したいこと」でもあるのではないかと勘ぐってしまう。 そりゃあ、そうだ。 本当の名門に生まれたひとは、いちいち「自分の縁戚にこんなに地位や名誉の高いひとがいる」なんて自慢したりしない。 

 たとえば政界で言うと、小坂憲次参院議員や林芳正参院議員、浅尾慶一郎衆院議員が自らの家系を解説する場面なんて一度も見たことがない。 本物のサラブレッドとは、そういうものだ。

 西洋には、「ノブレス・オブリージュ」(noblesse oblige)という言葉がある。 簡単に言うと、「高貴な人間(富裕層や権力者)には社会の模範になる義務がある」という意味だ。

 この考え方が最も根付いているのは、貴族制度の残る英国。 第一次世界大戦で上流階級(貴族)の子弟に戦死者が多かったことはよく知られた事実だ。 当時の時代状況は、貴族社会を描いた英国の人気TVドラマ「ダウントン・アビー」でもしっかり描かれている。

 日本にも「ノブレス・オブリージェ」の精神を持つひとがいないとは言わない。 が、家柄のいいひとに「高貴な魂」が宿っているとは限らない。 政治の世界に入ってから、そのことがよく分かった。

 身につけているブランドがどれほど立派でも、小心で、嫉妬深くて、コンプレックスの塊のような「心の卑しい人間」もいる。 逆に、育った環境がいかに貧しくても、正義感と優しさに溢れた「純粋な魂」を持つ人たちもいる。

 そもそも、「どんな家系に生まれたか?」なんて、その人間の高潔さとは何の関係もない。 この件については、改めて詳しく書く。   

 ところで、山本家は「ごく普通の家」だ。 亡父はたまたま参院議員(元農水大臣)だったが、親戚に有名な政治家もいないし、大金持ち(大物経済人?)もいない。 一族に高名な学者がいたとも聞いていない。

 だからこそ、上州ゆかりの偉人、内村鑑三と遠い親戚であることは、亡母にとっても「密かな誇り」だったのかもしれない。 が、いつも「お父さんが議員だからと言って勘違いしてはダメよ。あなたはあなたなんだからね!」と子供たちを諭していた母は、(算数の出来ない息子を励まそうと思って)「内村鑑三さんの遠い親戚であることを心のどこかに置いておきなさい!」と教えてくれたのだ。

 「等身大」の自分を偽らず、正直に生きる。 これが母の爽やかな生き方だった。 年を重ねる度に思う。 「素のままで、自然体にやれるひとが一番、カッコいいな」と。

 さて、山本一太の生まれ故郷である草津温泉の開湯伝説は幾つかある。 最も有名なのは、鎌倉時代初期に「源頼朝」によって発見され、木曽義仲の旧臣、「細野三御殿之助(ほその・みどののすけ)」が経営を任されたというものだ。  

 戦国時代に豊臣秀吉が徳川家康に入湯を薦めた手紙も伝わっている。 江戸時代(8代将軍吉宗の時代)には「将軍お汲み上げの湯」として名前を轟かせていた。 日本を代表する天下の名湯だ。

 亡くなった母、「山本照子(てるこ)」は、その長い歴史を持つ草津温泉(草津町)の老舗旅館、大東館の4女(8人兄弟)として生を受けた。 その母の祖母が「かく」だった。 この「かくおばあちゃん」(山本一太の曽祖母)が内村鑑三の従兄弟なのだ。

 「かく」は、江戸時代に高崎藩の中枢にいた秋池家に生まれた。 「かく」の父は高崎藩士・秋池教知、母は同じ高崎藩士北村家出身の「くま」だった。 「くま」の姉である「ヤソ」は、やはり高崎藩士だった内村宣之に嫁いだ。 内村宣之とヤソの間に生まれたのが「鑑三」だ。 つまり、「かく」と「鑑三」は従兄弟にあたる。 内村鑑三は厳格な武士の家で生まれ育ったのだ。

 かくおばあちゃんは福山藩の藤井家にお嫁に行ったが離婚し、子供を連れて実家に戻って来た。 その後、草津温泉の「大東館」の経営者(山本繁太郎)に嫁いだ。 妻を亡くした繁太郎も再婚だった。

 秋池家と山本家(大東館)の縁はこれだけではない。 秋池家に残っていた「かく」の娘である「はつ」(照子の母、山本一太の祖母)も、実の母の「かく」と再婚した山本繁太郎の先妻との間の息子、山本次郎と結婚した。 すなわち、秋池家と山本家の親子2組が結ばれたのだ。

 そうか、ここまで調べてやっと分かった。 子供の頃、草津のひとたちが、「大東館は侍の血が濃いんだよ。二重の繋がりだから、ね」と話していた理由が!

 あ、そろそろ腹筋と背筋をやらないと。 この続きは「山本家のルーツ:その3」で。

追伸:インドネシアのジャカルタで爆弾テロが起こった。 ISとの関連が囁かれている。 最も心配していことが、現実になりつつある。


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」