2016年1月13日

 夜。 都内を3、4キロ、早足で歩き、先ほど戻って来た。 途中でファーストフード店に立ち寄り、関係者とネット戦略の打ち合わせも。 打ち合わせと言っても、こちらはパソコンの筆談。 それでも幾つかのことを決めた。 

 ちなみに、山本一太の会議はほとんどファミレスか、ファーストフードの店か、スタバみたいなカフェと相場が決まっている。 まあ、今時、「料亭の密談」なんてやっている若手議員はいないと思う。(笑)

 さて、「喉の手術」から6日、経った。 けっして寡黙とは言えない自分が、今日も全く喋らなかった。 ほとんど拷問だ。(笑) それでも、就寝前の「腹筋+背筋+運動」は再開した。 薬も、毎日、決められた時間に飲んでいる。 

 声帯のポリープを切ったのは1月7日。 明日で7日目。 「絶対に声を出してはいけない1週間」が終わる。 もう少しの辛抱だ。 よしっ! 

 1人でガッツポーズを決めた直後に、友人からのメールを発見。 「一太さん。『1週間経ったら、絶対、しゃべってやる!』なんて子供じゃないんだから!(笑)8日目から堰を切ったようにワッと喋り出さないほうがいい!しばらくは大事にしてください。ご家族も心配しますよ!」と書いてあった。(ガクッ) 抜群のタイミングだ。(苦笑)

 大きく深呼吸をして、もう一度、自分に言い聞かせた。 「とにもかくにも、ここは商売道具の『声』をしっかり治しておくことが最優先だ。先はまだ長い。早る気持ちを抑え、週末まで安静にしよう!」と。(ふう)

 政治家になってから、ある意味、初めての「静養」だ。 ゆっくりと流れる時間の中で、毎日、いろいろなことを考える。 仕事のこと、これまでの人生のこと、これからのこと。 なぜか、亡くなった両親のことが何度も頭を過る。 

 何しろ、今まで大きな病気をしたことは一度もない。 初めての入院&手術という経験をして、「人間の寿命が限られている」ことを強く意識したせいかもしれない。 

 昨晩、布団の中でふと思った。 「自分は一体、何者なんだろうか?」と。 小学生(10歳くらい?)の頃、亡母がつぶやいていた言葉を思い出した。 算数のテストの答案(100点満点の13点)を家に持ち帰った夜だった。 母が少しため息をつきながら、優しい目でこう言った。

 「算数が苦手なのは分かるけど、あなたはちゃんと勉強すれば必ず出来る。あの内村鑑三さんと遠い親戚なのよ。でも、すごく遠い関係だから、外に言ったりしたらダメよ。心の中でそう思ってればいいんだから。」

 この「親戚と言っても遠いんだから、外で自慢したりしないように!」というのが、いかにも真っ直ぐな性格の母らしいと思う。(ニッコリ)

 この時の母の言葉は、ずっと胸の奥に大事にしまってあった。 が、「『上毛かるた』にも登場する内村鑑三と山本家がどのくらい遠い親戚なのか?」を確認したことは一度もなかった。 数年前、あることがキッカケで、初めて事実関係を調べたのだ。 草津温泉に住む親戚が正確な事実を教えてくれた。

 ひとことで言うと、内村鑑三は「母の祖母(おばあちゃん)の従兄弟」、すなわち、自分にとっては「曽祖母(ひいおばあちゃん)の従兄弟」だった。 思ったより近い血筋だったことに驚いた。 

 昨晩、内村家と山本家の関係を調べるために(数年前に)集めた山本家のルーツに関する資料(家系図メモ等)を引っ張り出して、もう一度、読んでみた。 親戚会の従兄弟が送ってくれた会報にも目を通した。 

 自分が草津温泉で生まれ育った「生粋の上州人」であること、大好きだったあの父と母の子供として生まれたことを誇りに思った。 ごく僅かだったとしても、尊敬する内村鑑三のDNAを受け継いでいることが嬉しかった。

 ちょうどいい機会だ。 社会復帰(?)する前に、これまで何度か書こうと思って書けなかった山本一族のルーツの一部をこのブログに残しておきたい。 連載シリーズのその1のタイトルは、「亡母がこっそり教えてくれた内村鑑三と山本家の関係」にしよう。

追伸:不思議な夢が続いている。 昨晩はとうとう話す「魚」が現れた。 「鯛」の顔と人間の身体を持つ生物が、首をキュンキュンしならせながら喋りまくっていた。(笑X2) きっと、声が出せないことに、よほど「脅迫観念」があるんだろうなあ。


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」