2016年1月6日

 夜。 病院の部屋で、パソコンのキーボードを叩いている。 病室でブログを書くなんて初めてのことだ。 

 今日、生まれて初めて入院した。 人生初の手術は明日の朝。 何も問題がなければ、明後日の午前中に退院する予定だ。

 政治家になって以来、20年に渡って「声」を酷使して来た。 特に参院選挙は17日間という長丁場だ。 喉にかかる負担は尋常ではない。 が、自らの選挙選でどんなに声がボロボロになっても、応援演説の連続でどれほどハスキーボイスになっても、これまでは(時間が経てば)必ず回復した。 耳鼻科で診察してもらった記憶はない。

 が、今回は今までと違う。 「声帯」を痛めたと分かった後も、連続して大声を出し続けた。 何度か「限界を超えた」という感覚があったのに、それでも喉を休ませなかった。 老化現象というより、不注意と言うべきだろう。(反省X10)

 事実、9月末に声を潰した後、時間が経っても、薬を飲んでも、なかなか「声」が戻って来ない。 専門医に診てもらったところ、声帯に血マメ(数ミリのポリープ)が出来ていることが分かった。

 焦らず喉の休息と薬で治す方法もあるかもしれないが、ドクターの説明を聞いた直後に、迷わず手術をお願いした。 「そのほうがいい!」と直感的に感じたからだ。

 親しい友人が笑いながら言った。 「声帯のポリープを手術するなんて、お前、プロの歌手みたいだ、な!」と。 「笑うなよ!歌手と同じくらい、演説と歌で(?)喉を酷使してるってことなんだよ!」と返した。

 手術自体は全く心配していない。 手術の方法や麻酔の使い方等については、とても丁寧な説明を受けた。 担当医の先生も信頼出来る。 手術にかかる時間も1時間以内だし、翌日からは(1週間の「発声禁止」を除けば)100%、普通の生活に戻れる。 何より、亡くなった両親が必ず守ってくれるだろう。

追伸:両親と言えば、またあることを思い出した。 亡父は参院で3回、連続当選した。 が、最初の選挙で当選した時は、病院のベッドにいた。 選挙戦の直前に急性肝炎で倒れてしまったのだ。

 当選後も半年近く入院していた。 後で主治医の先生に聞いたことだが、輸血で感染した亡父の劇症肝炎は症状が重かった。 治るかどうかは、五分五分だったそうだ。 父親が助かったのは、本人の激烈な生存本能と母の献身的な看病のお陰だ。

 全身の黄疸もなくなり、ベッドの上に座って食事を取れるようになった父を見舞いに行った。 「お父さん、すっかり元気になりましたね!」と言うと、箸を止めてニヤリと笑ったオヤジがこう言った。 

 「こんなところで倒れてたまるか!オレがいなくなったら、喜ぶヤツが山ほどいるんだからな。そうは問屋が卸さないよ!」

 あれは「不敵な笑み」だった、な。(笑) 


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」