あけまして、おめでとうございます! 今年も皆さんにとって素晴らしい1年になりますように!

 大晦日の「朝まで生テレビ」が終わったのは午前5時50分。 終わってみれば、あっという間だった。 それだけ今回の議論は面白かった。  

 それにしても、田原総一朗氏のバイタリティーには脱帽だ。 深夜の5時間の議論を最後まで同じテンションで引っ張っていた。 とても81歳とは思えない。 あそこにいた全員がエネルギーをもらったと思う。 こっちも頑張らないと。 まだ57歳だもの。

 討論の最後の30分で「難民問題」が浮上した。 自分は「難民受け入れ」に反対しているわけではない。 今年、日本は伊勢志摩でのG7サミットの議長国を務める。 国連安保理の議長国にもなる予定だ。 国際社会が直面する最大の懸案の1つである「難民問題」に対しても、より踏み込んだ貢献を求められることになるだろう。

 1951年の難民条約が想定した「難民」は、主に共産主義国からの政治犯だった。 今、欧州に流れ込んでいる大量の難民は、中東やアフリカの破綻国から逃れてきた「紛争難民」だ。 日本でもこうした難民を受け入れるための制度整備は必要だと思う。

 加えて、たとえばシリアの若者たちを留学生や技能実習生や高度人材として受け入れることも検討すべきだろう。 ただし、日本への難民受け入れは、現実的に可能な「数」を定め、段階的に(かつ慎重に)進めるべきだと考えている。 幾つか理由はあるが、「難民に紛れてテロリストが入国する」ことを防ぐ仕組みを整える必要性も考慮せざる得ない。 日本人を標的にしたテロ、特に国内でのテロは何があっても絶対に防がねばならない。 日本国民の命と安全を守るために可能な限りの対策を講じるのは政府の責務だ。

 断っておくが、命からがら祖国から逃げのびて来た難民の人たちをテロリスト扱いするつもりはない。 欧州等でも様々なリスクを承知で何十万人という難民を受け入れている。 日本政府としても「人道的な観点から何が出来るのか」を真剣に考えねばならないのは当然だ。 

 が、それでも政治家として心配せずにはいられない。 欧米等に比べ、日本社会に閉鎖的な部分があるのは事実だ。 言葉の壁もある。 実際、欧州に溢れる難民たちの移住先として日本は全く人気がない。

 どうしても考えてしまう。 日本にやって来た難民の人たちに企業は雇用の場を与えてくれるだろうか? 地域住民は彼らを温かく迎え入れてくれるだろうか? 特に中東から来た人々は、日本社会に同化出来るだろうか、と。 今後、我が国にどれだけの難民を受け入れるかという問題は、(政府の判断というより)日本の国民全体に突きつけられたテーマなのだ。

 正直言って、こんな思いも頭を過る。 万一難民の中にISのテロリストが紛れていたとしても、今の体制でスクリーニングすることは難しいだろう、と。 たとえテロとは無関係なひとであっても、日本社会から拒絶され、差別されたら、どうなるか分からない。 過激思想に染まる可能性はないだろうか、と。 

 「欧米に比べて難民をこれしか受け入れていないのは恥ずかしい!国際的なイメージも悪い。人道主義という点からも早急に制度を変え、出来るだけ多くの難民を受け入れるべきだ!」 自分だってこう言いたい。 今の日本の難民受け入れ制度の問題点もよく分かっている。 が、カッコいいことだけ言っても、国民の不安は解消されない。 難民を受け入れるなら、それがもたらす影響を十分に考え、日本に来た人たちが安心して暮らせるような状況を作らねばならない。 

 国民から理解されない政策は長続きしない。 日本の難民政策の方針を転換するためには、国民の懸念を打ち消すような政府の説明と説得が不可欠だ。

 だんだん目が開かなくなってきた。 昨晩は当然、一睡もしていない。 少し眠って次の仕事に備える。 おやすみなさい。