2015年11月8日

 21時30分。 東京の自宅にいる。 熱い紅茶が美味しい。 

 沖縄のサイバー会議は13時過ぎに終了。 会議の成功を最後まで見届けた後で、名護市の会場(万国津梁館)を出発。 那覇空港から東京行きの飛行機に乗った。 数時間前に帰宅。 眠い目をこすりながら、ブログを書き始めた。      

 「沖縄サイバー会議」の主要なセッションは昨日で終了。 今日は朝から取りまとめの議論があった。 サイバーセキュリティー、サイバークライム、サイバーコネクションの3つのグループによるセッションをぐるっと回り、会議全体の状況をフォローした。

 サイバーセキュリティーのパネルの議長を務めたのは、デニス・ブレア元米国国家情報長官。 このセッションには、全体セッションのパネリストとしても登壇したマイケル・チャートフ元米国国土安全保障省長官の顔も見えた。 サイバークライムは中谷昇インターポールIGCI総局長が担当。 サイバーコネクションの議長は日産自動車の志賀俊之副社長だった。

 全てが接続された世界の課題と影響、サイバーと国家安全保障、サイバー犯罪と戦うための各国の法執行機関の取り組み、東京オリンピック2020に向けての対応、情報と脅威のインテリジェンス共有のための枠組み等、多岐に渡る分野で中身の濃い議論が展開された。

 前回のブログでもちらっと触れたが、科学技術担当大臣、IT担当大臣として、スイスのダボス会議や中国のサマーダボス会議に出席した。 シンガポールのシャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)やオスロのIISSの年次総会(Strategic Review)にも参加した。 

 が、今回の沖縄のサイバー会議は、議論のレベルから言っても、会議のセッティングを含む主催者側の対応等から見ても、一流の国際会議と比べて全く見劣りしないものだった。 

 実際、世界中から集まった会議の参加者たちからは高い評価を得た。 実際に現地に足を運び、全てのセッションの議論を聞き、元沖縄担当相としてクールジャパンディナーでも挨拶した自分が言うのだから間違いない。 

 いろいろ紆余曲折はあったが、日本で初めての本格的なサイバー問題の国際会議は大きな成功を収めた。 安倍総理にも、どこかできちっとご報告したいと思う。 

 この会議を主催した内閣府(特に沖縄部局)のスタッフ、内閣府参与として中心的な役割を果たしてくれたウィリアム斉藤氏に(この会議の提唱者として)、改めて心から感謝の気持ちを表したい。 皆さん、本当にありがとうございました!

 それはそうと、2日間に渡って行われた沖縄でのサイバー関連国際会議の存在感と発信力を高めたのは、安倍内閣の3人の現職閣僚の出席だった。 この会議の主催者で、オープニングのスピーチもやった島尻沖縄担当大臣が来るのは、ある意味、当然だ。 本当に嬉しかったのは、安倍政権発足以来、内閣の中枢で経済政策を引っ張って来た甘利明・経済再生担当大臣と今回の改造内閣の目玉の1人である河野太郎・国家公安委員長が駆けつけてくれたことだ。

 ウィリアム斉藤・内閣府参与の国際的な人脈のお陰で、今回の沖縄会議には35カ国から有力な経営者やサイバー専門家を集めることが出来た。 デニス・ブレア元米国国家情報長官、マイケル・チャートフ元米国国家安全保障省長官、ユージン・カペルスキーCEO等は斉藤氏の長年の知人だ。   

 ただし、出席者の中に他国の閣僚はいなかった。 すなわち、現職の大臣である甘利大臣や河野大臣が「バイの会談」を行う相手は来ていなかったということだ。

 にもかかわらず、甘利大臣と河野大臣が沖縄まで来てくれたのは、サイバーセキュリティーを含むサイバー政策が、これからの日本にとっていかに重要かを理解していただいているからだと思う。 沖縄での会議がどんな意味を持つのかも。 

 それはそうとしても、大臣室までお願いにいった自分の話を真剣に受け止めてくれた甘利大臣の男気と、長年の友人である河野大臣の友情はけっして忘れない。 この会議が日本のサイバー政策強化のための1歩になったとすれば、それは甘利大臣と河野大臣のお陰だ。

 あ、お湯が沸いた。 熱い紅茶を一杯飲んで、それから腹筋と背筋をやる。

追伸:ちょっぴり残念だったのは、沖縄サイバー会議でぜひ基調講演をお願いしたいと思っていたIT関係の某大物経済人を呼べなかったこと。 このひとにもアポを取る。 沖縄会議のことを報告しておきたい。


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」