2015年11月3日

 夕方。 新幹線で東京に向かっている。 高崎市内で行われた某団体の政経セミナーで講演した。 あっという間の40分。 予告編だけで制限時間をオーバーしてしまった。(笑) よくあることだけど…。

 さあ、東京に到着する前に、「ユネスコ記憶遺産シリーズ:その7」を書き上げてしまおう。 自分が集めた情報によると、この問題に対する日本政府の主な対応は以下のとおり。

 2014年の6月10日、中国外交部が「南京事件」及び「慰安婦」に関する資料のユネスコ記憶遺産への申請を発表した。 この動きに対して、日本政府は素早く反応した。 翌日の6月11日、在北京中国大使館の公使が中国政府のアジア部の副司長に抗議している。

 続けて6月12日には、外務省の齋木昭隆事務次官が在京中日大使を呼び、中国側に改めて抗議すると同時に、中国政府に対して3つの要請(申請自体の取り下げ、申請した資料の提供、日本からの専門家の受け入れ)を行った。 その後も様々な外交チャンネルを通じ、日本の立場を繰り返し中国側に伝えていたはずだ。

 もちろん、政治レベルでの抗議や要請も怠っていない。 昨年の11月末、訪中していた下村文科大臣が中国文化部の副部長に遺憾の意を表明し、申請撤回を申し入れたと聞いている。 全体として言うと、昨年の6月から、「南京事件」の登録が発表された先月の10日までの間、東京や北京で行われた中国政府への抗議及び要請は15回(?)を数えている。

 中国政府に対する抗議に加え、ユネスコ事務局への申し入れや要請も同様のペース(15回?)で繰り返し行われて来た。 昨年9月の初旬、パリのユネスコ代表部・門司健次郎大使が記憶遺産申請問題に関する最初の要請をユネスコ事務局に対して行っている。 

 昨年11月5日にも、名古屋で開催されたESD(ユネスコ主催の教育分野の国際会議)に出席するために来日していたユネスコのボコバ事務局長と下村博文文科大臣が会談。 下村大臣が直接、ユネスコのトップに日本政府の姿勢を伝えたと聞いている。 11月7日にも、今度は外務省の薗浦健太郎政務官が、ボコバ事務局長に同様の申し入れをしたようだ。

 前回のブログにも書いたが、米国が分担金及び拠出金の支払いを停止して以来、ユネスコに対する最大の拠出国は日本政府だ。 過去、苦しい時期もユネスコの活動を一貫して支えて来た最大のシンパである日本政府が、ここまでユネスコ事務局に真剣な働きかけをやって来た。 加えて、「大義」(中立であるべき国際機関の事業が政治利用されるようなことがあってはならない)が日本側にあることは明らかだ。 

 今回、日本政府の立場を最もよく分かっていたはずのボコバ事務局長が自らが任命した国際諮問委員会の「南京事件登録」という勧告に何ら意見を挟まなかった背景には、「次期国連事務総長選挙への立候補を狙うボコバ氏がP5のメンバーである中国政府のご機嫌を損ねたくなかった」という事情があったと囁く人たちもいる。 そうだとすれば、日本としても(国連事務総長選挙に関して)何らかの対抗措置を考えるべきだ。

 あ、間もなく東京駅という車内アナウンスが流れた。 次回のブログでは、「今後、日本としてどんな対応をしていくべきなのか?」について書く。 ユネスコに対する分担金の停止がどうして稚拙な戦略なのかについても。

 ああ、お腹が空いた。 そうか、朝からコーンフレークとサラダドックしか食べてないもんなあ。


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」